『セッション』を観ました

デミアン・チャゼル監督の『セッション』を観ました〜。

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ギャガ (2015-10-21)
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ホントに最後の最後までクソ映画っぽい雰囲気のまま進んでおりました。ドンケツのオチでいくらか救われた、というかこのラストのみがやはりアカデミー賞エントリーの評価の対象となっているような部分もあるのかなっていう感じ。注意深く見るとストーリーもヒトヤマフタヤマはあるんですけど、低予算ということもあり登場人物も少ないので、見どころが絞られちゃっているわけで、これがデメリットでもある上に、最後のオチにすべてを賭ける最大のメリットとしても機能していますね。

役者で見るなら、やっぱりJ・K・シモンズでしょうね。私が彼で印象に残っているのは、『ジュノ』のお父さん役です。いつも機械や時計をいじっている、趣味人でもないけど手作業が好きなちょっと不思議な親、この親あってジュノあり、みたいな雰囲気が好きでした。確かに無骨な雰囲気のある役者なので、この作品でのスパルタ教師役にはずいぶんハマっていた、と思うのは多分結果論かもなあ。もっと変な役者を投入しても面白かったかもしれませんね。

というのも、教師と生徒の間柄の描写がなんかこう教育熱心&レイシスト過ぎて、生徒さんがド緊張したり、ドラム練習するのに血まみれになったりしているのを見て「なんかグロ過ぎ〜」と思ったりしたのですなあ。この描写は、絶対に作品としての外せない狙いなんでしょうけど、私みたいに単純に「なんかグロ過ぎ〜」とオネエっぽい感想だけにならないトンチはあったんじゃないかな、それが役者だったのかもなあと思うのですね〜。

この映画ではジャズの学校、そしてドラマーというギミックだったのも、ちょっと惜しいなって思ってしまいました。教えている側の内容も、教わっている側の態度もエライ単純でして、果たして一流の音楽大学のジャズ科(というのがあるのかな?)というより、戸塚ヨットスクールみたいな更生施設のような閉塞感と「基礎科目」感を感じました。「テンポがどうのこうの!」というセリフは、緊迫したリハ風景を演出するには必要かもしれませんが、まあ、実際に教わったり教えたりすること考えたら、「そりゃねえわな」というか、「んなわけねえだろ」という、ウソっぽさがにじみ出てしまってるんですね。これはウソっぽさがある程度透けて見えてしまうという点で残念だったと思います。

しかし、音楽としてではなく、シンプルに速弾きという競技にかける師弟として見るなら、これはこれでスポ根ものとして見ることができます。速弾きの極地点を目指すことで得られるものが音楽をやることの幸せ、という寓話的なものでしかないのなら、ジャズの学校などではなく、もっと寓話的な設定にすべきだったと思います。例えば20世紀初頭のアパラチア山脈バンジョー早弾きでムーンシャインの製造権利を賭けて戦うとか、そこに鉄道工夫や実在したジョン・ヘンリーが絡んでくるとか、壮大なアメリカン歴史フィクションになったんじゃないかと思うのです、制作予算があれば、の話だけど。ブルーグラスとブルースが唄として渾然と存在していた当時から、なぜブルーグラスだけが速弾きとなり、そして白人のものとなっていったか、という辺りをリサーチすれば、もしかしたら機械文明に対峙する人間の姿が描き出された歴史モノにもなったんじゃないかな〜、って妄想したり。