『文政・八州廻り秘録』を読みました

笹沢左保さんの『文政・八州廻り秘録 (ノン・ポシェット)』を読みました〜。

関東取締出役、八州廻りを主役とした、ちょっとした短編がいくつか収められてますっていう、まあまあ手頃な感じの娯楽時代小説です。文化文政時代がマイブームなので読んでみたっていう次第。

笹沢さんは月に1000枚という超多作なので、この作品この文庫一冊がバイオグラフィー的にいったいどういった位置づけなのか、正直よく分かりません。木枯らし紋次郎真田十勇士みたいな、版元的にも「鉄板」のシリーズの合間に、ツルツルっと作ったものなんだろうとは思います。八州廻りが主役で、ミステリー的な展開、途中読んでてほとんどエロ小説と変わらなくなる部分もあり、まさしく大衆娯楽としての時代小説といった感じっす。

ところで吉村昭さんの「史実を歩く」を読んでても思ったんですが、時代小説とか歴史小説の作家さんが時代の描写のリアリティについて言及するとき、「納得いくまで」とか「ここまでは最低限」みたいな話になってきますよね。読者側にもそういった意見はいろいろあると思うんです。これについて個人的は、要するに面白ければいいんじゃねえのっていう気持ちですが、たとえば笹沢さんのこの作品のように、関東取締出役という素材一本のみでこれだけ多様なストーリーを、おそらく手癖でちょいちょいっと構成できるっていう、作家さんの能力(筆力というよりは腕力)のほうが実は興味深いんですよね。「司馬遼太郎だから問題ないだろう」みたいな感覚っていうのはどこから来るのか、みたいな。まあひとつの大きなテーマです。

なぜかあとがきを、峰隆一郎さんが書いているんですが、結構不穏なムードのあとがきだったのが面白かったです。笹沢さんを一応大先輩と立ててはいるものの、それ以上はほめもせず、むしろ暗にこれは笹沢さんを批判してるのかな…という文章。そもそもお二人とも、推理小説もやれば時代小説もやる、また「宮本武蔵」でモロ被りなだけに、不思議な感じです。これは当時の編集者の遊び心だったんじゃないかなと思います。これ祥伝社ノン・ポシェットっすわー往時の勢いを感じますね。