『竹沢先生という人』を読みました

長与善郎の『竹沢先生という人』を読みました〜。

竹沢先生という人 (岩波文庫)
長与 善郎
岩波書店
売り上げランキング: 147683

いや〜もう、ただ辟易するばかりでした。竹沢先生と彼を慕う学生仲間たちが、哲学や思想について様々な議論を巡らせる様が延々と続く部分は、誰か編集者がばっさりカットしてやるとかなんとかして短くしたほうが作品としては絶対にいいと思うんですけど、それについては後年文庫化にあたり本人が書いたあとがきにも書かれていますね。こうした師弟の果てしない議論のうちに、自らの主観をこれでもかと盛り込んだやり方が、小説というには斬新だったらしいのですね。時代の要請があったものでしょう。

私は文学部だったんで、あー周りにもこんなことをわざわざ難しい言葉を使ってグダグダと話している連中がいっぱいいたなあと、懐かしくも思ったものですが、仮に現役の文系学生さんがこれを少しずつでも読んで、登場人物と座を並べて議論に参加することはいいことだろうなとは思いますけれども、まあ曲がりなりにもおっちゃんとも言える年齢になった今の自分からしたら、さっさと読み飛ばしたい衝動に何度駆られたことか。青年はこうでなくちゃいけない、とも思いましたけどね、逆に。大体がこの本はおっさん向けじゃないのかもしれません。しかしそれは脇に置きつつも、長与さんの文体は本当に揺るがないもので、長たらしい部分以外についてはとてもシンプルで的確で美しい。誰がどうしてこうなったというストーリーだけを追うのであれば、これほど読みやすい文章はないかもしれません。竹沢先生という人物にこれほど親しみを持てるのもこの文章あってのもの。

ところで本書は、大正12年の関東大震災の後に書かれており、大正13年から14年にかけて、雑誌『不二』に連載された作品をまとめたものです。3.11の大地震以降、個人的にも読書のしかたがずいぶん変わってきたような気がしますが、本書についてもそれは感じます。むごたらしい災害を前にして、例えば神の存在を問う議論だの来世というものについての議論だのというのは、まさしく現在進行中のトピックだなあと思いながらページを繰っておりました。竹沢先生はすっかりこれらのことに答えを出しているようで、相当に主観に揺るぎのない自然主義的思想家なのです。もとよりこれは長与さんの創作した主人公であり、長与さんの主観なのです。長与さんの著作を初めて手にしたのが初期の作品であるこれでよかったと思ってます。それは、この関東大震災から先の大戦にかけての時代を、彼がどのように考えて感じていたかを追うきっかけにもなるからですね。古書店に行って漁る楽しみが増えたっつーもんです。Amazonにはまるでねえし。

まさしく読書とは著者との対話ですね。