遅ればせながらドリームマッチで気づいたこと

フットボールアワー後藤はいまが最盛期

松本が嫉妬するほどになったということなんでしょうね。ノリノリなんじゃないでしょうか。漫才の神が降りてます。ちょっとここ半年か一年か二年か、この時期に舞台行って見てみたい、見ないともったいないな、と感じました。どの舞台でもおそらく確実に、フットボールアワーが大爆笑を取っているんだろうな、というのが容易に想像できますね。やっぱり吉本芸人というのはこういう風に育つ環境があるという点では心強いと思うんですけどどうなんでしょう。

芸人の喫煙率の高さ

まあホントみんなバッカバカ吸ってますね。テレビの、それも芸能人の世界が、おそらく一番最後まで喫煙者が残るんでしょうな。ニコチンに勝る暇つぶしとストレス解消法は、今の日本にはないのかもしれませんね。酒飲んで入院したりするよりはタバコのほうが良さそうだし…後は大麻解禁を待つのか。

コントが多すぎ

バナナマンおぎやはぎのようなコント職人たちが他の人と絡むのはぜひとも見てみたいところではあります。しかしその場合、エチュードというか、面白くないけれどもシュールだな、という独特のコント空間というのが成立する番組の環境が欲しいなと思うんですよ。あのダウンタウン司会でいかにもゴールデンの観覧客…という状況では、尺も内容も漫才レベルにブラッシュアップしたコントしかできないわけで、そうなってくると極端に言えば破綻したものか無難なものかのどちらかしか出せない。日村のネタが破綻していたし設楽のネタが無難なものでした。それが残念ではあります。鶴瓶の「スジナシ」のような番組構成で、別に作ってあげた方が絶対に面白いと思うんですよね〜。だから漫才限定にしてあげたほうがいいんじゃないかなって思うんですが、しかしこの番組の歴史を振り返ってみると、内村と松本のすごいコントというのがみんなの記憶にあって、なかなかコントなくそうぜっていう話にはならないんでしょうねー。

サバンナ八木がやる気を出した問題

考えてみたらサバンナのネタもよう知らんのですが、おそらくあと10年20年と、ネタをやり続けていけるような息の長いコンビだと思うんですよね、サバンナって。ロッチやピースに比べても、申し訳ないけれどもあんまりテレビを見ないので記憶にない。それとも大阪ではもっと知名度あるんでしょうね。ただ全国放送で、あの誰にも指名されないという位置になったのは、実は八木本人としても美味しかったんじゃないでしょうか。なぜそういう位置を生かさなかったんだろう…って不思議に思ったんですよ。記憶している限りでは、サバンナの八木はツッコミというにはもう少し違う芸人だと思うんですよね。でもいつからか、ドリームマッチっていう番組が、スベってはいけないという縛りになっているっていうことが意外でした。ネタの後のコメントで「やめてまえ」って捨て台詞を吐いた松本人志はそのことを知っているんでしょうし、八木自身もツッコミではないことを知っている。それなのに、あんなに真面目にネタ作っちゃって、それで微妙に面白くないっていうのは…相当ガチ度が高いんでしょうねえ。結構芸人さんにとっては苦労が多くてメリットが異常に少ないという。そんなガチ領域にわざわざ踏み込んでいった八木は、偉いなと言うよりは…それしか選択肢がなかったというのが見ていてツラいですねえ。

やはりテレビ番組は消耗戦でしかない

ドリームマッチっていう番組が、本来だったら、無理矢理コンビを剥がしてくっつけても、そんな面白いものを期待したって仕方ないでしょっていうのが前提にないとおかしいっていうのに、そうじゃなくてウケを取ることだけを芸人に強いるっていう構造は、あんまりいただけないなって思います。仮にこの番組のせいでピースがM-1で不調だったのだとしたら、ちょっと可哀想だなと。職人芸を見せたいっていうのなら、中堅以上の人たちがもっと出てきてもいいし、それこそ阪神巨人さんクラスの人が出てきた方が楽しめると思うんです。スベってもいいよっていうのなら、もっと若手だらけにしたっていいだろうし。しかしその辺の議論はすでに番組内部では当然し尽くされているのでしょう。例えば本来なら、楽屋にカメラが踏み込んでも、実は視聴者も芸人も、あんまり得しないんですよねー。だからドリームマッチは、楽屋を見せてる部分はギリギリで選別・編集しているし、そこだけ見ても相当スタッフと芸人側が議論して作られた番組であることは確かです。ここで番組側が望んでいるのは「ガチ感」であって、芸人さんにいろんな環境を整えてあげて異種交配で大爆発する瞬間を待っているんでしょうけれども…年末のスケジュールの中においてはそれは消耗戦でしかないと思うんです。

まとめ

2011年は、ガチじゃなくてもいいんですよ〜って私は個人的にはテレビの制作側には言ってあげたい、と思うんですよね。どのみち今年からはM-1もなくなるし、芸人が真剣にネタに取り組んでいるんですよ、っていう部分はもう見せなくてもいいんじゃないかっていう気がするんです。別に真剣でもふざけててもいいじゃないか、面白ければ、みたいな部分は昔から思っていたし。もう笑いを競うっていうことのドキュメンタリー性のバカらしさに気づいていると思うんですよね。野性爆弾椿鬼奴も、客がそれに気づいた種類の笑いでしょう。チュートリアルのチリンチリンがあったから私たちはM-1に幻想を見てしまったのだけれども、ルーチンワークである舞台ではあのレベルの事件ならしょっちゅう起こっているんですぜ、だから皆さんテレビもいいけれども、もっと舞台に足運んでくださいね、と芸人さんたちはもっと伝えるべきだと思います。また一方のテレビ側には、お笑い・演芸番組のフォーマットをずっと昔に戻してほしいです。そうですね、80年代の黄金期ぐらいに。「ヤラセの復活」がテーマだと個人的には思っています。