『旬の魚を食べ歩く』を読みました

斎藤潤さんの『旬の魚を食べ歩く』を読みました〜。

旬の魚を食べ歩く (光文社新書)
斎藤 潤
光文社
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日本各地の旬の魚を現地に行って食べましたよ、という紀行文です。

うまく編集してんなあって感心したのは、全体を春夏秋冬の章に分けているところです。個別の魚の旬についての見解はいろいろ分かれるところなんでしょうけれども、思い切ってばっさり切った。例えばこれを地域別に割ってたら面白くなかったかもしれません。ひとつの食材に複数の地域での取材や随想が混じるっていうパターンはやはり王道ですね。

斎藤さんの文章に感じる通奏低音は、まず現在の市場に流通する魚の9割はすでに縄文時代から食されていたという事実がひとつ。それから地産地消が基本で、刺身よりも加工された魚が好きなんだろうなってのがもうひとつと感じました。考えてみたら、朝早起きして一緒に漁船に乗り込んで獲れた魚をその場で食べるとかなんとか、を前面に推してみせるやり方は、そりゃもう旨いに決まってるし分かってることだし、いかにもテレビ番組的なポピュリズムです。

食べた時の食感や味を記述するのもそりゃ大事でしょうけど、むしろ映像ではなく文章で見せるべきは、主婦の口伝を含む地域の魚の加工法でしょう。斎藤さんのまなざしは常にそっちに向いているところが好感持てました。

先日読んだ『被差別の食卓』の著者の上原さんは、被差別部落の住人は自分たちの住んでいるところを「むら」と呼び、そして「むら」同士の交流はかつてからあったといいます。社会構造の批評は脇に置いておくとして、この「むら」同士の交流は島国である日本の各地の漁村にも当然強かったものでしょう。ハタハタの秋田、サバのヘシコの若狭、サケの村上市と北海道平取…など、この本に出てきた漁村同士をつなぐ見えない線、特に保存法、料理法などで、きっと交流というものがあったはずなんですよね。その交易のひとつの極みが北前船だったのかも…と、そんな想像を働かせて、料理を文字で読む楽しみが生まれてくるんじゃないでしょうか。

本書のような食べ歩き型もいいですが、博覧強記型の日本の魚文化の本でも読んでみたいもんです。