『沖縄 戦争と平和』を読みました

沖縄県知事も務めた太田昌秀さんの『沖縄―戦争と平和 (朝日文庫)』を読みました〜。

まともに沖縄戦の話を読んだのは実は初めてです。感想は…ま〜あ本当に最悪ですね、戦時中の日本は。

「ま〜あ本当に最悪ですね、戦時中の日本は」と、こんな風に、当時のブラック国家、ブラック政府っぷりを、まるで今の日本と断絶しているかのように断じることもまた許しがたいですね。普天間基地問題を見れば、日本の本質は今も全然変わってないと思います。当時の日本が(ということは今の日本もですが)どんだけ差別主義者であったか(あるか)という話です。早い話、沖縄だから馬鹿にしてたんですよね。同様に中国だ朝鮮だからと見くびって馬鹿にしてたんでしょうね。分かります分かります。集団自決の命令はなかった、南京事件はなかった、というのも分かります。そりゃ当事者ならそう言うだろうなって思いますよ。責任はいつだって曖昧なんですよね。いじめの問題。同和問題。インド人学生の自殺。全部つながってるように思います。

そしてどうしてそんな「上から目線」の立場を「日本人」は保ったかというと「皇民」という物語が根拠なんですよね。百歩譲ってそれはそれでいいとしましょう、ただ太田さんは、最後の章に中江兆民の『三酔人経輪問答』の中の「洋学紳士君」の弁を引用してるんですが、それを要約すると、「君主は民衆のために戦争をするわけではない」っていうもっともな話です。太田さんはこの「洋学紳士君」の意見に「満腔の共感を覚え」ているんです。

沖縄戦で何があったかを詳細に章を連ねてきて、そして最後に、戦後の沖縄はどうあるべきかという話で、結局「非武装中立」という考えを持って来ざるを得ないところが、なかなか苦しいなあとは思います。

しかし…ここで解説の西川潤さんの文を引用します。

わたくしにとって印象深いのは、これらの本が単にヤマト為政者の沖縄支配意識を批判するのではなく、むしろこうしたヤマト人たちに自らを委ね、依存していく沖縄人の心の中を描こうとする努力に貫かれていることである。

その沖縄人的な優しい心は、より大きな島嶼国である日本人にも残っていると思うんですが、それと同時に、例えば沖縄に対する奄美大島に思いを馳せれば、沖縄人の心にも冒頭に書いた日本人の差別主義的な心があるのかもしれません。

ところで、この文庫本のカバーの装丁は、知る人ぞ知る田村義也さんでした。その強烈さから、実は電車で読んでいる時もちょっと隠しながら読んでましたよ〜。そんなに尖った思想を持ち合わせているわけでもない私は、「沖縄」「戦争」「平和」という文字が強く印象に残るこの装丁に、やはりどこか後ろめたいところがあったのかもしれませんね。ホント、もっと頭使って考えろよ自分、と改めて思いましたねえ。

いやでもこういう戦争の話は、本当に繰り返ししたほうがいいんですよ。もうええっちゅうねんと言われても。