『法華経入門――七つの比喩にこめられた真実』を読みました

松原 泰道さんの『法華経入門――七つの比喩にこめられた真実』を読みました〜。


特に『なんとか入門』と題された新書にはなにかと手を出してしまいますが、正直言うと「なんとか入門」は常によい入門書とは限りません。思うに、書籍のタイトルとしては非常にイージーなものではなかろうかと思います。第一、どんなジャンルでも構いませんが、入門なんて名乗るような本を書くってのはかなり恐れ多いことで、相当勘違いした人か、相当に入門者に教え馴れた人でなければ、書けないもんだと思います。宗教だったらなおさらじゃないでしょうかねー。

この著者の松原さんは、いわばいろんなところで仏教の講演をされていまして、著書も100冊を超え、『般若心経入門』のベストセラーによって仏教書のブームを作ったほどの教え上手な住職さんですから、かなり噛み砕いた口語調で分かりやすかったですよ。ちなみに2009年に101歳で逝去されています。この本を読んだのもなにかの縁でしょうからね、大事にしていきたいもんですね、と思わせる本です。

法華経についてというよりは、「七つの比喩に〜」とある通りいわゆる「法華七喩」を解説したというものです。詳しくはいまここで解説するものでもないでしょうから、松原さんが「法華七喩」を解説する中で、恐らくいつも使っていて、テッパンだろうなと思われるネタをいくつか拾ってみました。

釈迦が「誰でも仏になれる」と説法した時に、5000人が退場したという話が出てきます。どんなに修行しても羅漢にまでしかなれないと信じきっていた修行者たちが、その話を信じられずに馬鹿げていると思って退場したらしいんですね。その話の中で松原さんは、以下のようなたとえで解説します。

現代のサラリーマン社会でも、課長や部長ラインを羅漢果(羅漢の位置)と考え、そこへ到達するまでは、一応の努力はするものの、そこに到達したが最後、できるだけ事故がないようにと、保身にきゅうきゅうとするなら、これも”声聞根性”です。声聞根性のサラリーマンに「お前だって、社長になるれっきとした素質が、本来具わっているぞ!」と言ってみても、本当にしないどころか、逆に「人をからかうな」とか「バカにするな」と、怒りを買うのが落ちでしょう。このことは法華経においても同じです。

いくらなんでもこの比喩は「え違うでしょそれは」と笑ったんですけどね、こんな年功序列的なサラリーマン社長なんて、いまどきの時世に合いませんよねえ。苦労してもなりたくねえぞっていう人の方が多いんじゃないでしょうか。とはいえ、このような時世だからこそ、当てはまるたとえでもあります。「人は誰でもビル・ゲイツになれる可能性がある」…そう信じたから、フェイスブックグルーポンも成功したんだよっていう話には展開できそうです。『7つの習慣』と法華七喩が共通するかどうかはさておき、アメリカ産の成功哲学にも通じているんでしょう。結局法華経を知るということは自分を知ることなので、そんなに変わらないのでしょう。

また人の中には仏性が常に具わっている、凡夫と仏がいつも半分ずついて、それぞれは常日頃から人の内面で大戦争を繰り広げている、もちろん釈迦自身もそうであると、そういう話の流れで都々逸が出てきます。

こうしてこうすりゃこうなると/知りつつこうしてこうなった/そこが凡夫でねえあなた

松原さんは明治の生まれですから都々逸が出てきてもおかしくはないんですが、さすがにこれは知らないわけです。だもんで「こうしてこうすりゃこうなると」でググると、面白いですねこれ。たとえ話にするっと都々逸が出てくるような男になりてえ!と思いました。


「猷禅和尚」という人も素晴らしいですねえ。書の世界では有名な方らしいんですが。久留米の花街みたいなところで法事があって、その時に芸者さんが猷禅和尚に「うちらみたいな商売には仏様みたいに偉くなれませんよねえ」と質問したところ、筆と硯を持ってこさせてさらさらっと書いたのが下の戯れ歌。

芸者商売 仏の位/花と線香で 日をおくる

粋ですねー。都々逸は知らないんですが、線香代はちょろちょろ読んでる時代小説で知ってたんですよね。しかしこんな戯れ歌でも、法華経の心を知れば、味わい深い歌になるっていう話です。最後に、松原さんが「妙好人中の妙好人」と褒め称える浅原才一という人物も気になりました。ま〜あ仏教の方でも、いろんな人がいるっていう、そういうことに興味が湧きました。