『カルチュラル・スタディーズ入門』を読みました

上野俊哉さん、毛利嘉孝さんの『カルチュラル・スタディーズ入門』を読みました〜。

カルチュラル・スタディーズ入門 (ちくま新書)
上野 俊哉 毛利 嘉孝
筑摩書房
売り上げランキング: 215510

「なんとか入門」で新書。迷わず買ってしまうんですが、これは読むのがきっついけれども良書でした。2000年に新書の初版が出てますから、20世紀末の総括といった立ち位置で書かれていると考えて、この後にゼロ年代っつーもんが来るわけね、ということを念頭に置いて読めます。とにかくあっちゃこっちゃにとっ散らかっているこの研究の分野を、なんて美しくコンパクトにまとめたもんだという感じ。

なんといってもスチュアート・ホールです。サンドウィッチマン富澤たけし風に言えば「スチュアート・ホールだけでも覚えて帰ってください」です。スチュアート・ホールが、1932年ジャマイカのキングストン生まれであるということ、あのコクソン・ドッドも1932年キングストン生まれ、リー・ペリーが1936年ケンダル生まれです。実はもうこれだけで十分示唆的なんですよね。ちなみにボブ・マーレィが1945年生まれです。きっとこの本、レゲエについて言及するだろうなあと思ってたら案の定。レゲエがUKに、そこから世界に波及していったのと同じように、ホールの仕事も影響を与えていった、てな風に私は見ます。

すいません好きなもんで…もう少しジャマイカを絡めて言いますと、マーカス・ガーヴェイという社会運動家がいますよね。黒人公民権運動の草創期、ラスタ思想の先駆け。どうしてああいう人がジャマイカに生まれたのか、天才というか妄想家というか。もちろんスチュアート・ホールには直接関係ないんですけれども、先駆者という点では共通している部分があるのかないのか。気になりました。既成アカデミズムに対する態度というのは、そのままシステムに対するラスタのそれと一致するんですね。なんじゃこりゃと。あまりに気持ち悪いほどにシンクロしてるんですよねー。

80年代に入ってから、フェミニズムカルチュラル・スタディーズに対して、特に黒人女性側からの強烈な異議申し立てを始めたという話がこの本にありました。あるいは、ポストコロニアリズム、ニューエスニシティーズ、などの新しい考えの一切合切が、1982年のフォークランド紛争をピークにしてカルチュラル・スタディーズから沁み出してきた、といったイメージ。このイメージなどは、私は勝手にイエローマンを想像しました。それまでのラスタを下ネタのトースティングで一発で駆逐したDJイエローマンの登場はちょうど1980年で、この文脈になぞらえれば、アルビノであるイエローマンからの異議申し立て、とも見てとれますね。さらに英国でのレゲエを考えると、もうこれは、「カルチュラル・スタディーズを知るにはジャマイカ音楽を知ったほうがいい」と言い切っちゃってもいいくらいっちゅー話ですわ。

ロックだヒッピーだのを研究したニューレフトを経て「黒い大西洋」に至るまでは、段階踏んでて分かりやすいんです。しかしその後が分かりにくい。バングラ、テクノ、トランス、レイヴなどを対象としたという研究が、一切分からん。その後、分かりにくさは第三章「カルチュラル・スタディーズの現在」の、ソジャとハーヴェイの空間論のあたりがピークですね。こらえきれないほどに訳が分からなくなった頃合いを見計らったように、最後のまとめで一応整理はされます。

「わかりやすさ」と「実感」を信奉する読者層と書き手の層が、ともにある種のリアリズムーー実際にはそれは別の意味で「現実」の否認であるのだがーーからくるナショナリズムにあっさりと身をゆだねているのである。

だそうなので、分からなくてもまあいっかw

まあとにかく、入門とかもういいんじゃないでしょうか。さっさと次のレベルに行かないと、鉄が打つ前に冷めてしまいそう。幸いこの本は参考文献もてんこ盛りです。ただナメンナって思うのは、ほとんどが専門書・学術書であってお値段もそれなり。あんたら失業者を含む多様な人に門戸がどうのって書いとるやんけ〜、ということです。これだけを見ても門戸が狭いんですよ。たまらんですね。というわけで、次の『実践カルチュラル・スタディーズ』をすでに読み始めております。これ、2冊セットだと思ってください。