『地図のない道』を読みました

須賀敦子さんの『地図のない道』を読みました〜。

地図のない道 (新潮文庫)
須賀 敦子
新潮社
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文章がいいっすね本当に。読むのがもったいないくらいです。いままでこんないい文章に出会ってないというのもまったくひどい人生です。だいたい「文章がいい」なんて感想を言えることもめったにあるもんじゃないです。名文と言われているものはたいてい批評家の手あかと唾にまみれてしまって、釣書きを読んでんのか分からなくなるくらい新鮮ではないし。須賀さんについては『コルシア書店の仲間たち』に続いて、まだたかだか文庫本を2冊読んだばかりでこんな手放しの賛辞ですよ。我ながら信じられません。


『地図のない道』『ザッテレの河岸で』の2篇が収録されていますが、いずれも旅行記というかイタリア滞在記という軽いエッセイの体裁であるのに、心の深層まで刺してくるような日本語を書いてきます。実際今回の話、扱っているテーマをとっても、特に珍しく奇妙なことではないものと断じていいでしょう。知ってる人はそれについて書くだろうな、というもの。自分の飾りのない気持ちの地点から、そろそろと音も立てずに歩き出すようになにかが語られていくスタイル。不思議ですねえ、いやあ謎です。本当に謎。この文章の秘密を理解できることはあるんでしょうか…などと考えていると、結局『コルシア書店の仲間たち』での松山巌さんの解説に行き着いてしまうんですがねえ。

小説でもエッセイでも、文章が面白いのは、それが作家の人間性そのものにぴったりくっついたものにしかならない、しかもごく個人的に、っていう点にあるのだと、改めて思いました。例えば『地図のない道』ではユダヤ人のゲットについて焦点が当てられていますが、これを上原善広さんが自身の体験を絡めて書くとどうなるか。また『ザッテレの河岸で』は高級娼婦とも呼ばれる16世紀のコルティジャーネたちを追いかけていますが、飯嶋和一さんが彼女らの歴史をどっぷりと精密に書いたらどうなるか、などとありもしないことをいろいろ想像します。想像しますけれども、はっきり言えばこの本には、この年齢の須賀さんにしか書けないことしか書かれていないんですねえ当たり前ですけど。

いつまでも須賀さん(とイタリア)に思い耽ることはやぶさかではないのですが、そうも言ってられないんですよねこちとらね。スコットランドアイルランド、アメリカ大陸、あるいはトカラ列島でも台湾でも、世界中にいろいろな空間や場所、地点があるはずなのに、須賀さんしかり塩野さんしかり、こういった美しい作品群がイタリア方面に集中してるってのは少し許しがたい点ではあります。本当に許しがたいのは、他にあるはずのよい作品をまったく知らない自分なんですけどね。須賀さんのことは全集買っちまう作家の候補には入れときつつ、また別の本をせっせこ読まなアカンナ、と思いました。