『夜を賭けて』を読みました

梁石日さんの『夜を賭けて』を読みました〜。

夜を賭けて (幻冬舎文庫)
梁 石日
幻冬舎
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ちょっと長くて飽きますが、面白い小説でした。/面白い小説でしたが、ちょっと長くて飽きました。

まずはアパッチ族の盗掘メンバーのひとり、木下が言った台詞を。

「わたしのおやじは強制連行されて黒部ダムの工事現場で死にましたんや。黒部ダムは難工事やったらしいです。岩盤を掘ると摂氏八十度から百度の熱湯が噴き出して思うように工事ができなかったんですわ。そこで強制連行してきた朝鮮人に作業をやらせたわけです。雨合羽をかぶって掘るんやけど、なんせ百度近い熱湯が噴き出してまっさかい五分もするとやけどしたそうです。そら、やけどしまっせ。百度近い熱湯が噴き出してるんやから。しかし五分では仕事にならんさかい無理をして掘りつづけたために黒部ダムの完成までに二百人の朝鮮人が犠牲になったそうです。ほとんどの日本人はこういうことを知りまへんのや。それを考えると腹たちますねん」

ついこの間『高熱隧道』を読了したと思ったら、不意にこんな台詞にぶち当たる…読書ってのは思わぬところで繋がるもんすね。この木下の父親がいたのは、まさに『高熱隧道』の黒三ダム工事ということになりそうです。強制連行かどうかはともかく、食い詰めた朝鮮人がアブナい工事現場に行って日銭を稼いでいただろうことはありえるかもしれません。このことは、『高熱隧道』には詳しくは描かれておりません。吉村昭さんが人夫に朝鮮人が多かったというような話を、どの程度認識していたか、どの範囲まで書こうと思っていたのか、ちょっと今は分かりませんが、ラストシーンに描かれていた人夫たちの険悪な状況はこれで納得できそうです。強制連行であれば、人夫にとっては生死にかかわることですから、ダイナマイトで殺す…ということももちろん考えられます。

あるいは「日本人憎し」の気持ちが重なって、酔った勢いで盛った話である可能性をちょっと考えると、当時、黒部ダムの事故は新聞でも報道されていたでしょうし、同胞がひどい事故に遭った記事を読んで自分のことのように戦慄を覚えた人も多かったことでしょう。木下のこの場の台詞については、本当かどうかは知ったこっちゃない。この台詞の後に「お前それはウソやろ?」「ウソやったら何やっちゅうねん!」と続いても成立します。梁石日さんは、この一般人同士の、特に無学者同士の会話の流れみたいなものを大事にしてるんじゃないかなという気がします。無学の者はどうやって会話をしていたか、を経験的に把握しているからできる描写でしょう。それは『プレシャス』におけるモニークの演技でも同様で、無学のアフリカンアメリカンの母親を演ずる際に経験がモノを言ったんでしょう。知ってると知ってないとでは大違いというわけです。

恐らく原初は小さなことだった日本人と朝鮮人の軋轢がやがて大きくなり、民族同士の憎悪というところまで引き上げられてしまったのは、あくまでも現場においてなのだということを、この『夜を賭けて』を読んだ後でも感じます。『高熱隧道』においては技師/人夫、『夜を賭けて』においては警察/アパッチ族、という対立です。双方からさまざまな罵詈雑言が交わされていて、なおかつ朝鮮人同士でもひどい差別や内輪もめがあったりして、それがマルっと文字になってるサマが凄まじいです。これぞ文芸という気もします。特にこの作品の前半の爽快さは、たとえ露悪的な部分があるにせよ、他では得がたいものです。

それにしても全体の構成が面白いですねえ。アパッチ族が鉄を盗んで盗んで捕まるまで盗みまくるあたりは長くてくどくて、いわゆる冒険もののラノベみたいな印象でした。しかしそれが逮捕から一転して、大村収容所に面会に通う女の話になり、最後の章では時代がぐっと下って現在の大阪で再会するというものでした。アンバランスであるかもしれませんが、1959年の大阪の朝鮮人の話としてひとつまとめるためには分けるわけにはいかない。図らずも後半の章で、隔離独房から出された金義夫が一般の収容所に入れられたときに、同じ「在日大阪人」に会えて親しみが湧いたという描写がでてきます。「在日大阪人」とは、まさにこの物語を貫くテーマにぴったりな言葉ですね。

最後に。読み始める前は『ピカレスクロマンの最高傑作』という帯の文言がしっくりこなかったんですよねー。主人公がピカレスクというよりも作家さんがピカレスクと解釈してすっきりしました。梁石日さんパネエす。

最後に戯れ言

個人的な認識ですが、朝鮮人と日本人の対立はいまや「寝た子を起こすな」のレベルにあると思います。だから以下の話は戯れ言です。

私は日韓ワールドカップの時、韓国がベスト4を戦った試合を新大久保で見てました。焼き肉店でパブリックビューイングを見ていたのは、日本人もかなりの数いたかとは思いますがほとんどが韓国人でしょう。試合が終わった後、観衆は職安通りにあふれ出たんですが、その時の警察の「歩道に戻れ!!」と言ってあふれ出た人を歩道に押し戻していた態度がえらい硬いなあ、となんとなく思ってました。その前にも日本がベスト8で敗れた夜の渋谷スクランブル交差点での騒ぎを見回っていた警察官と比べたら、かなり強硬な態度でした。それを感じたのか、警察に対してなにがしかの抵抗を見せようとする客もいました。

まあ渋谷での騒ぎを受けて、韓国戦でも同様のことが起こるから気をつけようぜ、という話が警察にあったのかもしれません。しかしあえて言えば、日本の公権力はかなり強烈な差別主義者なのだと思います。歴史認識以前の問題として。大村収容所の話では、あの私が見た職安通りでの風景を思い出しました。たぶん「韓国人、朝鮮人は納税者ではないから強く出るべし」という意識なんでしょうね。はー。感情的には断然警察の味方なんぞはしたくないのですが、いざ引いて見てみると政治のシステムとしては至極まっとうな意識、とも思えるから、厄介ですねホント。