「日本人」って使うのもうヤメね?

twitterで「火事場泥棒とかひどいね」ってつぶやいたら、ある国士様から「火事場泥棒は本当に日本人なのか?」というリプライを頂きました。あまりにも信じられない反応だったのでびっくりして、結局無視しましたが、のちに考えて、あることに気がつきました。

火事場泥棒の犯人の国籍がこの状況下で関係ないのは言うまでもないでしょう。国士様は普段から差別主義者でしょうからなかなか自覚はされていないと思うのですが、国士様のリプライにおける「日本人」は、「貴様それでも日本人か!」の文脈での「日本人」として読めば充分に通じます。ここでは「日本国籍を有する者」ではなくて、「清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者」くらいの意味で、模範的な人間、あるべき人間の姿として措定されています。

「火事場泥棒なんてやる連中は本当に清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者の仕業なのか?」
「そんなはずはない。なぜなら火事場泥棒は、清廉勤勉、誠実で礼儀正しい行為ではないからだ!」
「とすると、火事場泥棒をやったのは日本人ではないということになる!」

分かりやすいですね。論理の飛躍はありません。3手詰めの詰め将棋みたいなもんです。

よく言われる「日本国籍を取れば日本人になれるんだからさ」とはつまり、「日本国籍を取れば清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者として認められるんだからさ、つまりあんたは現在清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者ではないわけよ」とも変換できます。

「クソ、なんで言われるがままに日本国籍を取って清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者として認められなアカンのや? ワシは今でも清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者だっつーの!」
「まあ待て、日本人はアホやから、国籍さえ取れば誰でも清廉勤勉、誠実で礼儀正しい者と思うってなもんよ。これは逆に利用せな」
「なるほど。頭ええなあさすがに」

てなもんです。

「日本人」にこうした意味が内包されていることから、左派の政治家はいつも言葉使いに気をつけているようにも見えるし、逆に某都知事は、このダブルミーニングを故意に利用してホルホルしているようにもみえます。作家としてはけしからんですね。まあ普段だったらそんなのどっちでもいいんです。しかし現実として困ったなって思ったのは、TBSだったかな、夕方の定食屋で見たテレビでは、NHK出身のアナウンサーが「われわれ日本人は」という「複合語」を用いていました。おやおやおやこれ大丈夫なの?と感じましたけれども、一般的にはスルーされているんでしょうかね。

ただし、国籍を表す言葉にはもともとさまざまな政治的な意味が内包されちゃうのは不可避なんですよね。「クルド人」や「パレスチナ人」はもちろん、「アメリカ人」も「イギリス人」も本来問題のある言葉で、状況によっては慎重に使うべき言葉です。しかしそれらのどの言葉よりも、「日本人」という言葉が国籍を表す意味から離れて民族性の方に近づいているような気がするんですが。むしろ「日本人」の表す意味は、「シマンチュ(島人)」という方言が表す意味の方により近いといいますか。その辺はさすが島国日本なんですね。

概して、「日本人」という言葉は、国籍を表す言葉としてはちょっとどころか全然使えねえな、と感じました。そしたら「邦人」って言葉があるんですね。よくテロのニュースやなんかの時に「在外邦人の安否は〜」と言われるアレです。こっちの方がよりニュートラルな言葉だなと感じましたがいかがなもんでしょう。

これだと「火事場泥棒は本当に邦人なのか?」と問われても、「そりゃそうだろうよ日本で起こってるんだから邦人だろ、まさかこの災害時に外国から窃盗団が来てるとでも?」となるわけです。スッキリしますね。


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