クレーン車運転手 ハブ・ディラード

スタッズ・ターケルの『仕事(ワーキング)!』を読んでます)

シカゴの南のロウアーミドルの集まる郊外。48歳、かなり肥満の建設労働者で共働き。子供二人は結婚して他に住む。かなり大型のクレーン車を操縦している。

一度大事故を起こした。監督の言葉を信じたばかりに、クレーンの後部によけいな重みがかかって後ろにひっくり返った。そのとき放り出されて、500ポンドの重量が足にかかった。足の手術を3回もして、18ヶ月間仕事ができなかったそうです。

俺は放り出されていた。ひどく暑い日だった。俺は言ったんだ。『足が折れてる』って。そしたら、やつが、『いいや、そんなはずはない』っていった。みんな、ころがってる俺を見ていた。女たちがやってきて、体の上に毛布をかぶせだした。俺は『なんてこった! こんなに暑いのに、俺を蒸し焼きにする気か』ってわめいた。救急車がやってきて、俺の靴を脱がせようとしたんだ。だが、結局、靴は切り裂いた。すると、骨が見えたよ。

このあと、組合の話、思ったほど儲からないという話、飲みにいくよっていう話、子供には手に職つけたい、仕事には誇りを持っている、みたいな話が続きます。現場がないと干上がってしまう職種らしいですね。昔は1マイルの道を作るのに2、3ヶ月かかったんだが、今では一日でできちまう、だから冬には仕事がない、らしいです。

俺の親父は、1923年以来、クレーンの運転手だった。俺の家族は農場にいて、親父は、たいてい出稼ぎに行ってたんだ。それで俺は、絶対に親父みたいにはならないぞって誓ってたんだ。軍隊を出たあと学校に行って、時計工になった。だが、カン詰になったままは、いやだった。毎日、毎日、同じことの繰り返しがいやだった。家の中にばかりいて…。百姓の出のこの俺が。だから、親父と一緒に働きに出ることにした。建築工事の仕事だ。それ以来この仕事ばかりしている。

1923年を見れば、第一次大戦の復興の時期ですね。もっともアメリカはそれほど被害もなく、大量消費社会へと突入していく時期ですんで、都市化にともなう建築ラッシュがあったんでしょうなあ。


クレーン運転士に合格する本

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