『鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす』を読みました

松田博公さんの『鍼灸の挑戦―自然治癒力を生かす』を読みました〜。

トイレ本というのか、暇つぶし本というのか、読書の対象としてあまりカーストの高くない位置のカテゴリーにひとまず置いて読み始める本ってあると思うんです。廉価版の漫画なんかもそうですね。ミナミの帝王とかの廉価版の漫画の置き場に困ったんで、家の近くの中華料理屋さんに持ってったら大層喜ばれたことを思い出しました。しかし考えてみたら、あの廉価版の漫画というのは、私が自宅でトイレで読んでたりしたもんだったなあ…大丈夫なんでしょうか。

そんでそのトイレ本、暇つぶし本のひとつがこの新書でした。なんの考えもなしに、ワゴンの新書3冊で100円ってのから買ったんじゃなかったかな、あまりプライオリティが高くない本だったんですね最初は。

ところがこれ、読み始めると、かなりの奇書だということに気がつきました。いい本ですねこれ。

著者の松田さんは、ご本人も鍼灸師で、「鍼灸ジャーナリスト」だそうです。おそらく鍼灸師の専門誌ってのがあってですね、そちら方面でも活躍されている方なのでしょう。どマイナーな業界の視点で、鍼灸師50人以上に話を聞きながら、現代の鍼灸の全体像を浮き彫りにしようとした力作です。ともかくインサイダーの書き手ですから、あまり治らなかった話のようなネガティブ要素がクローズアップされることもないでしょうから、治ったのどうのという話はまあどうでもいいんです。そこが問題ではなく、登場する鍼灸師の先生方の、個性的な人の多いことにまずぶったまげます。そりゃそうですよね、医者の親の跡を継ぐためになにも考えずに医学部入ったボンヤリした医者もいるというなかで、真に医学とは、治療とは、人間とは、みたいなところで哲学的な探求を始めてしまって、人生のどっかのタイミングで鍼灸の凄さを見たり聞いたり知ってしまったような人たちなわけですから、なにかしら個性的な強い意志を持った人が多いのは確かです。むしろ新興宗教に行ってないだけまだ世間のためになっててよかったんじゃないかと思います。変な言い方なっちゃいましたが、そんだけ医術の世界もキワキワで、混沌としてて、異能の者が多い。著者の松田さんも、とても面白い世界にいて、実にうらやましいですねってことです。

大枠の考え方、つまり鍼灸は人間の自然治癒力をどうのこうのといった点では、ほぼ全員が一致しているのでしょうけど、その各論となると、鍼灸師の先生の数だけ治療の方法があるといったテイです。江戸時代も蘭学が出てくるまではきっとこんな感じだったんでしょうね。

しかし、私もずいぶん誤解してたんですけど、中国伝来か日本古来か、いくつかの大きな本流があって、江戸時代に「手あて」の医療行為として花開き、医師ら各自が治験を重ねてきたデータが反映されて、西洋医学との共存も進んで現在に至る…というわけでもなさそうなんですねこれ。もっと混沌としているようで、すでに紀元前の中国からなんだか混沌としてたような感じです。なんとかいう紀元前の医学書の中のツボをある日突然自宅の風呂場で発見する、白川静もそうだったかと思わせるほどにツボの名称からその場所を探る、北斗七星のエネルギーがへそのあたりのツボに投影されているという論文を書く(北斗神拳かっ…)、ニセの針を工夫して作って二重盲検試験を可能にして治験データを採る人、問診に二時間かけるという先生…などなど、いろんなやり方があって、そういう人たちが学会に集まって、例えば気を信じる鍼灸師と信じない鍼灸師が対談をするとか、そういう面白いことをやってるみたいなんですね。

それから図らずも、実家の近くで開業している名医を本書で見つけてしまいました。これが一番ラッキー。