『黄金旅風』を読みました

飯嶋和一さんの『黄金旅風』を読みました〜。

黄金旅風 (小学館文庫)
飯嶋 和一
小学館
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江戸寛永年間、栄華を誇った海外貿易都市・長崎に、二人の大馬鹿者が生まれた。「金屋町の放蕩息子」「平戸町の悪童」と並び称されたこの二人こそ、のちに史上最大の朱印船貿易家と呼ばれた末次平左衛門(二代目末次平蔵)とその親友、内町火消組頭・平尾才介である。

文庫の裏表紙から引用してみました。

吉村昭さんの『破船』で裏表紙を読んで大変損した気分を味わったんですが、さすがに巨編作家の飯嶋和一さんなら、この程度のことが書かれていてもまったく問題ないです。この裏表紙から私が想像したのは、『ワンピース』ばりの冒険ものでしたよw。悪童で放埒三昧の二人の若者が船を手に入れて貿易で金を儲けまくる的な。読了した飯嶋和一さんの本は『雷電本紀』に続いて二冊めですが、この人の本は全部読むことに決めました。とにもかくにも素晴らしい、面白い、読まずにはいられない、んすよねえ。

歴史と小説って相性がいいんですよね。時代小説も歴史という括りとするなら、そりゃもういろんな試みがいろんな作家さんによってなされているわけですが、飯嶋和一さんの試みってのはやっぱり異質、異色だろうと思います。「壮大なスケール」とは歴史巨編によく使われる常套句ですが、スケールというのは尺のことなのか、それとも貫目のほうなのか。三代四代にわたる物語を描けば壮大かと言われるとそりゃそうでしょう。司馬御大や遠藤御大の全何巻完結っていう小説はその意味では壮大ですよね。飯嶋和一さんのは尺というより貫目でしょうね。描きたい内容がぶれないという点では、やっぱり小説なんだと思います。本作品では、はっきりと、末次家がヒーローで、竹中釆女守を始めとした欲深い大名たちがヒールであると、そのことを言うべく、様々なサブストーリーが登場して、ただの年表ではなくて、複雑な織物のように仕上がるわけですなあ。

そういう正義対悪徳という枠組みで描かれるお話が、まず面白くないわけないじゃないですか。悪は滅びるべきでしょ、なんつっても。もちろん歴史はそんな単純な話ではないんでしょうけど、しかし小説として読むならそうあるべきだ、という考えには大いに賛成です。特に飯嶋さんの作品は、民草が正義の側にあるから気持ちがいいんです。

そして何よりも、文章の手が込んでます。お話を付け足す部分がほとんどないんじゃないでしょうかね、まあだから長くなっているんでしょうけどね。しかし情緒や雰囲気だけで登場するお話ってのはまったくないんです。主張がぶれないし、主張のために削れないんですね。「長けりゃいいってもんじゃない」という批判はまったくありません。それから、わざわざ章のタイトルに太陰暦太陽暦かが付け加えられている意味も、読んでみて初めて分かります。これ、かなり重要なんですねー。それから、どんだけ調べたのかっていうくらいに詳細です。船の話、長崎の町の話、鋳物の話、全部図書館でもって調べたら、まあこれ身が持ちませんね。うまーい具合に省略している部分ももちろんあるんでしょうけど、しかし残されている資料で分かる範囲のものは全部詰め込んでいて、それでも分からない部分で徹底してファンタジーにしている。言うまでもなく、このファンタジーの部分が小説としてのキモなんです。史実がどうのこうのだけでは、田舎の校長先生が引退後に書いた、地方出版から出ている歴史の本になってしまいますんでね。

もうひとつだけ書いておくと、これは映像には翻訳不可能だろうと思います。一般的な時代劇や大河ドラマの世界観には翻訳できない、という意味ですが。まさに本でしか味わえない興奮です。それゆえに、例えばテレビ化して小金を儲けるなんてこともできないわけで、それでもストイックに書き下ろしだけを上梓している、それでいてストイックに史実は史実として詰め込むという、稀に見る素晴らしい作家さんだと思います(最近連載もやってるようですけど)。こんな作家さんが、印税でプール付きの家に住めなきゃ世の中間違ってると思います。