『路上のソリスト』を観ました

ジョー・ライト監督の映画『路上のソリスト』を観ました〜。

お話は悪くないんですが、感動のしどころがなんか邦画の「感動作」的で、ちょっとスカされました。こういうのが苦手ってほどではないんですが、これは映像で観るよりは本で読んだ方がよいんだろうなって気がしてます。読んでませんけどね。

例えば劇中出てくる"grace"という英単語の意味を、どんだけ体験的に感じる事ができるかで、だいぶこの映画の見方も変わってくるんじゃないかなと感じました。字幕では「恩寵」と訳されるんですけど、私はキリスト教じゃないので、もしや言葉の意味以上のものがあるのではと思ってしまいます。アチラでは、才能とは天にまします父から授けられたものと解釈するんでしょうけど、そんなキリスト教的な物語こそが、「才能にあふれる人が路上生活なんぞをしてるのがおかしい」という、お話の前提になっているんだろうと想像します。

そりゃ確かにおかしいことはおかしいんでしょうね。ジュリアード音楽院というのが音楽のエリート校であり、少なくとも路上生活者を生み出すような学校ではない、というのもこのお話を補強していますしね。

ただ、そうじゃないだろ、と実はこの時点で感じたりはしたんですよねー。納得いかないところです。天才は、路上にいても、あるいは路上にいてこそ天才なんですから。路上の天才として過ごすことになんの不都合がありましょうや。結局コラムニストの「大きなお世話」が巻き起こした波風だけが、この映画のキモだと思いましたよ。

しかしながらこれは、当地LAの事情を鑑みれば、やはり社会問題であることには変わりがないんでしょう。私は多分、人種についての感受性が極度に不足しているわけですから、例えばジュリアード時代のシーンにおいて黒人ソリストが一人だけしかいない異様さを、もっと重く観なければいけないのでしょう。個人の問題ではなくて社会の問題であるとして見る以上は、彼が「黒人の」精神疾患者であることを重く受け取る必要があるのだと思います。

なんだか私の了見では、コラムニストだけがこの感動作で受賞してオイシイ思いをしただけなんだろ!っていう気持ちが大きくて、もちろんそういう意味合いを含めた受賞シーンも途中で出てきますけれども、作品自体がすっきりしたハッピーエンドでもないだけに、どこか解せない不思議な映画に感じました。なぜベートーベンのあの曲なのか、なぜナザニエルという名前なのか、いろいろとこの映画を解する符丁はあるんだと思います。そういうものへの理解が自分には足りないなーなんて思ったり。

まとめると、「まあ普通の映画だね」ってな感じッス!

主演のジェイミー・フォックスの疾患ぶりが今ひとつ。歌わせる役ならよかったんですがね。この人って、楽しませるタイプの役者さんだから、キチガイ役って大変でしょうね。コラムニスト役のロバート・ダウニー・Jrはまたもや夫婦(今回は"元"ですけど)で同じ職場で稼ぐ役でしたね。あのー、やっぱりこう、離婚した男女の関係って、お話に非常にコクがでるもんですね。コクが出てるように感じるのは、キャサリン・キーナーという美熟女の賜物でしょう。

路上のソリスト
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