『中華美味紀行』を読みました

南條竹則さんの『中華美味紀行』を読みました〜。

中華美味紀行 (新潮新書)
南條 竹則
新潮社
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もう中国の料理っていうジャンルでは、南條さんはテッパンと言っていいんじゃないでしょうか。以前読んだ『中華文人食物語』にも優る面白さでした。

ゴムで作ったナマコをだまして売る事件、スイカが爆発する事件、言わずと知れた毒餃子事件……経済発展による街並の変化と同様に、中国の食もここ十年ぐらいで随分事情が変わってきている気がします。本書で南條さんが度々触れるように、中国の各地の都市はどんどん様変わりして、古き良き風景がどんどん失われています。これは公害の問題も含めて、そのまま日本が通ってきた道ですんで、なかなか苦々しい事態だなあと思います。それでも、本書にちらっと出てくる門前仲町の大阪屋(好きな店なのでオッと思いました)のように、残っていく店や料理すなわち文化を、なんとか大事にしていかなあかんなあ、と感じました。

南條さんの文を読むと、もう中国各地の料理というのはユネスコ無形文化財レベルじゃなかろうかって思えてきます。書いている料理の半分も知らないし、読めば読むほど、中国料理のイマジネーションってパネエっす。日本の料理にも「謂われ」はあるんですが、なんか中国料理のほうが断然楽しく感じるんですよねーやっぱこれはひとえに文章の巧さから来るものでしょう。料理の謂われが民話のように寓話化されている例が多いのは、きっと中国人の方が(たとえば日本と比べて)食文化を大切にしているからでしょう。中国では人間はまずEaterとして在るんだろうなって気がします。その点は認めざるを得ない点です。食に対する態度というか姿勢は、日本を遥かに凌駕しているのは間違いありません。

いまの地震で、避難所の食事がいたたまれないほど貧相なのは、いかにも日本的な気がして、ちょっとがっかりします。おにぎりと味噌汁があれば、なんてところで我慢したってつまらないはずなのに、頑張って我慢しちゃうのが美徳ってことなんでしょうね。四川の地震の時に私が強く印象に残っているニュース映像があります。家を失った大家族がテントを張って屋外で食事しているのですが、確か豚一頭をパリパリに焼いたか揚げたかしたような豪勢な料理を、財産はたいて10人くらいで食べているんです。「食事くらいは豪華にしないとね」なんてことを調理しているお母さんがケラケラ笑いながらインタビューに答えていましたが、これこそ中国だなあと感心したものです。「腹が減っては戦はできぬ」ことを、本能から知っている人でなければ、こういったシーンは生まれないでしょう。振り返って日本の被災者たちは、なにか温かい炊き出しが食べられて嬉しいなんてこと言ってますが、もっと食い意地を張ってもいいんじゃないかなあっていつも思います。報道の伝え方が、また「慎ましい被災者たち」として伝えたいからかもしれませんけどね。

さて、本書で印象に残ったのは、陳永祥という料理人が作った「套四宝」、北京の「豆汁児」、「煎餅巻大葱」の黄妹子の謂われ。それと、毛沢東のエピソードがよかったです。中国では偉い人でも料理の話になると地元びいきの引き倒しになっちゃうところが面白いんですね。日本も管首相は宇部出身なんだから、福島県の野菜やらさくらんぼやらを食べるパフォーマンスもいいけれど、それより宇部のなんとかが旨い!とか失言して叩かれた方が、人間味があっていい気がしますよ。それを福島出身の野党議員が国会で追求するとか。