『兆民先生・兆民先生行状記』を読みました

幸徳秋水の『兆民先生・兆民先生行状記』を読みました〜。

兆民先生・兆民先生行状記 (岩波文庫 青 125-4)
幸徳 秋水
岩波書店
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この日本語、たまらんですねえ。クセになります。明治35年の5月、中江兆民の死の翌年に出版されたそうですから、幸徳秋水30歳の時の文章なんですね。よくこんな文書けるもんですわーほんと。

自分の師匠を褒めまくって称えまくって、そして死に際して悲しみまくっています。読み手としては、「いかに中江兆民が素晴らしい人物であったか」を読むだけですから、読みやすいっちゃー読みやすいですね。お次はどういう感じで褒めてくるのやら、と結構楽しくなってきます。だからあんまり思想家だとか社会運動家だとかってのは関係ないです。単純に名文であるってことだけです。

読んでるうちに気がつくんですが、幸徳秋水はそういえば死刑になったんですよね。社会運動の最前線にいたヒーローとして『春高楼の』では描かれていますが、この師匠があって彼がいたということに気づくと、なるほどなあと腑に落ちます。

あと、兆民先生の切れぶりは、なかなか凡人を寄せ付けないものだと思いました。結果、幸徳秋水のような人物が弟子になるわけだし。そういうこと考えると、私は竹沢先生のようなぼんやりした師匠のほうがいいなあとは思うんですよねえ。兆民先生の。濃密な生き方を手本にしなければならない、という考えの揺り戻しが、大正時代の竹沢先生になるんでしょうか。ひと世代ごとにこういう揺り戻しは交互にやってくるもんなんでしょうね。現代はどうかと考えてもよく分かりませんけど。ネトウヨなんてのはどういう揺り戻しなんでしょうね。

まあこの本ばかりは、読了したからなんだっていう本ではなさそうです。常に手元において、その文を味わった方がお得だし楽しめるんじゃないかと思います。薄いしね。いつも持ち歩けるし。