『スコットランド 歴史を歩く』を読みました

高橋哲雄さんの『スコットランド 歴史を歩く』を読みました〜。

スコットランド 歴史を歩く (岩波新書)
高橋 哲雄
岩波書店
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はっきり言いまして、本書は最高に面白かったです。今年読んだ中でも相当面白い方に入ります。「スコットランド」にも「歴史」にも引っかからなければ、この本を手に取る機会も断然少なくなるでしょうけれども、そこをなんとか騙されたと思って読んで!、とオススメしたくなります。「読み物」としてのエッセンスが凝縮されてて、鮮やかな章立てで盛りつけされてて、飛ばして読む部分が一切ないんです。単純にスコットランドの歴史と言ってますが、このタイトルで強調されるべきは「歩く」という単語でしょう。「渉猟」とはまさにこのような本に似合う言葉だと思いました。

いきなり褒めちぎってしまいました。私自身としては、須賀敦子さんの本を読んでて、欧州音痴をどうにかしたいと思い立ち、ひねくれて手始めにまあスコットランドからやろうかな…と思って読み始めたのでした。実際シングルモルトにも興味があるし、アメリカのブルーグラス音楽も好きだから、この選択はただひねくれたものでもなくて、ちょうどいいやっていう感触だったんです。しかし、スコットランドの歴史とはまさにヨーロッパの歴史と密接に絡んでくるもので、決して辺境の地のみで収まる話ではなかったのだ、ということを知ることができたのが、思ってもみなかった収穫でした。

ついこの間に読んだスコットランド史の本では、ジャコバイトの蜂起の最後となる、1746年のカロデンの戦いで終わってました。それはイングランドとの議会の合併があり、それに伴う蜂起が鎮圧されて、スコットランドという国家はなくなってしまいましたとさ、いうお話になってました。確かにその通りで間違ってはいませんが、本書ではむしろその、議会の合併(本書では合邦と呼んでます)の後に、今日まで保たれてきたスコットランドナショナリズムの側面を、丹念に渉猟して光を当てたものです。章立てが非常に心地よくて、福岡伸一さんの本の読後感に近い爽快さがありました。

著者の高橋さんは、まず「はじめに」で、すぐにアイルランドスコットランドの違いを風景から端的に指摘します。その上でスコットランドのナショナル・アイデンティティとはなにかを本書で探ると宣言します。第一章では、まずスコットランドはひとつの国ではなかったと、すなわち18世紀の時点ではハイランドとロウランドに明らかに分裂していたという国内問題があります。経済格差はもちろん、言語も生活習慣も異なるし、地理的にも断絶していたという話です。それに加えて、第二章ではジョン・ノックスとメアリ・スチュワートの二人を登場させて、スコットランドにおける宗教改革を語ります。過激なアジテーターとして知られたジョン・ノックスは長老派教会で、カトリックの女王メアリとの対立の図は、確かに当時のヨーロッパの「あるある」なんですが、まずメアリ・スチュワートという王女の生き様の悲劇性に心を掴まれます。

さらに、この宗教改革を、スコットランドに残る教会の建築様式から説明しているのが面白かったところです。豪奢を極めた大教会はことごとく廃墟となり、小さな教会が不格好になって生き残っている現実、それは何故なのか、と説明されます。もうこれだけで、スコットランドに行きたくなってしまいます。

第三章では「合邦」つまり1707年の英蘇両議会の合同にまつわる話です。1691年のグレンコーの虐殺、ダリエン計画の失敗、その後のイングランドによる「いじめ」措置、合邦後の揺り戻しつまりジャコバイトの反乱…これらの結果として、スコットランドは一旦、無惨にぐっちゃぐちゃにされたんですね。しかし怨嗟がトグロを巻いていた国内にもしっかりとエリート層がいて、彼らが国家のアイデンティティを創作する側に立ちます。その「復興」の一連の動きの中で起こったのが第四章の「オシアン事件」です。

知らなくて恥ずかしいんですが、これ超有名な事件のようですね。ジェイムズ・マクファースンという人が、「ハイランドを探索したらゲール語のすげえ長い叙事詩が見つかったよ、これは3世紀のスコットランドのフィン王(フィンガル)一族の物語だよ、それを英訳したよ」ということで二冊の本を出し、これで語られる英雄がオシアンという名だったのでこう呼ばれています。で、この本は当時のヨーロッパで大ブームとなり、これはホメロスにも匹敵する叙事詩だっつーことで、ナポレオンも愛読したといいます。ところがこれが贋作ではないかという話が出てくるんすねー。結論としては贋作なんですけれども、ではこのような贋作が出てきた背景とはいかなるものかって話に及びます。そこがとにかく面白い。どうもこれは、時代背景も味方して、プロレスで言うところのアングルなんじゃないかっていう、仕掛けがあったんだろうという、そんな話が飛び出してきます。

しかしナショナリズムの仕掛けはまだこれでも足りなかったようです。第五章では、「キルトとタータンがいかにして国民的なモノになったか」というお話。ぶっちゃけて言いますと、要するにキルトもタータンチェックも、私たちは完全にスコットランドの伝統だ!って思ってますけれども、そんなに歴史のあるもんでもなくて、やはり仕掛けがあったんですよというお話です。象徴的な事件は「1822年のジョージ四世のスコットランド行幸」です。イングランド国王が、「伝統的」なハイランド・ドレスで現れたというんですね。このあたり、完全に政局がらみ、つまりプロレスです。その後、ヴィクトリア女王が初めて1842年にハイランドを訪れ、すっかりハイランドの風光明媚のトリコとなってしまったそうです。これ以来、英国王室の夏の避暑地はスコットランドのバルモラル城というのが定着したのですねー。こうしてスコットランドアイデンティティが作られていったというわけです。

第六章と第七章では、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、非常に多くの有能な人材を輩出したのはなぜか、ということについて考察しています。歴史の用語としては「スコットランド啓蒙」と呼ばれています。とにかくひど過ぎるメンツです。まず大学がすごいんですね。あのアダム・スミスなんぞが講義してて、ヨーロッパだけではなくて明治の日本からもガシガシ留学してたっつーのですね。学問のみならず実業の分野でもハンパないメンツが活躍してて、開国まもない日本のさまざまな事業、土木だとか医療だとかに、多くの人材が来ております。ありがたいことですなー。いろんな背景があってこの時代に人材が集中して輩出されたっていう話でした。

つらつら書いてて長くなってしまいましたが、これで私もすっかりスコットランドびいきになってしまいました。いつか行っちゃうかもしれません。