『家郷の訓』を読みました

宮本常一さんの『家郷の訓』を読みました〜。

家郷の訓 (岩波文庫 青 164-2)
宮本 常一
岩波書店
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久しぶりの常一本でした。

本書は民俗学というよりは、宮本さんが30代半ばに自らの幼少時を振り返って記憶を掘り起こして書いたという点にそそられました。その記憶がとても詳しいのは、なにも本人のみの記憶によるものではなくて、まさに村落の記憶として、この大戦時の時点ではまだ残っていたものだと思われます。宮本さんは明治生まれですが、幕末からの村落の記憶、つまり宮本さんのひとつ、ふたつ上の世代からの記憶が、この本に記述されていると言えます。

今でこそ、民俗学的な学究のセンスは人文学の分野で簡単に受け入れられていると思うのですが、ムラ社会においてこうした村落の調査研究をするというのは、当時は非常に嫌がられたんじゃないかなあと思うんですねー。いわんや余所者などが来て調査なんてことになったら、かなりうさんくさい人に見られることは確実ですけど、そこがまず明らかに人と違ったんでしょうね宮本さんは。近代化という時間軸の中では、村落の記憶とは恥ずかしい、早く忘れたい、黒歴史である部分のほうが大きいわけであって、あるいは実利的な面から、ムラ社会自体が変容して跡形もなく消え去るってことはよくあることですよね。田舎くさいってのはその名の通りに「くさい」のであって、日本全体をムラ社会と考えた時に、都会の人に笑われるっていうことは直していかなければならない、そんな考えに基づいた政策がずっと続いて現在にも至っていると思うのです。そこにわざわざ光をあてる宮本さんのような民俗学的な連中って、実際田舎から見たら余計なことしやがって、と思う人も少なからずいるのだろうなと私なんかは思うのですが、いかがなもんでしょうね。まさにその対立と原発の事故はつながっている話だと思うのです。

本書は、宮本さんの故郷における個人的な記憶から引出された、ムラの子供たちがどのように教育されてきたかについての記録です。面白いのは、大戦時の教育体制を、明治後期から大正期にかけての村落の崩壊を押しとどめるものとして、絶賛していらっしゃるんですね、本意かどうかは知りませんけれども。そういうよい面もあるというのは分かります。日本の敗戦によって、二重に日本の村落は窮地に陥ったのでした。このことは覚えておいて損はないと思います。戦時中の教育とか政策は、「古きよき日本」の実践でもあったということですね。

しかしまあなんていうのか、田舎というのは、とことん地味ですよね。鳥人幸吉が飛ぼうと思ったのは、田舎がいやだったんじゃないかなって気もするんですけどねえ。須賀敦子さんがヨーロッパに行った気持ちもそれに近いんじゃないかと思うのですね。田舎で一生を終えるということ、それ自体に価値を与えてあげなければ、今後も人は田舎に目を向けないんじゃないかと思うんです。この宮本さんの本を未来に活かすことは、大変な矛盾を抱えたことだと感じました。

ふー久々に書きましたっつーの。まいったまいった。