『ディアスポラ紀行』を読みました

徐京植さんの『ディアスポラ紀行』を読みました〜。

在日朝鮮人二世の著者による、ディアスポラについての雑考と紀行文の断片をつなぎ合わせた本です。目の覚めるような良書です。

全体的には自らの出自についてのセンチメンタリズムを強くしている感じもしますが、そういうムードこそがポスコロ(ポストコロニアリズム)の時代の雰囲気を形作っているのかもしれません。「旅をするディアスポラ」という本書の体裁が、またそのムードを助長しているのでしょう。徐京植さんのプロフィールが、つまり80年代に兄ふたりが政治犯として韓国に囚われたということが、常に政治的な存在に立たされるディアスポラの想いを読み手に強烈に残すんですねー。

いかにもポスコロ的な「反ナショナリズム」思想の議論についてはまた別の本を読みたくなりました。しかし、本書の面白さはさまざまなディアスポラによるアートの批評眼にあります。本書で紹介された、いろんなアーティストの名前を拾って検索するとですねえ、これがねえほんとに、私にとってはとても刺激的な現代アートのガイドとなりました。

ニッキ・S・リー(Nikki S Lee)は、見たところはどうしようもなく韓国顔の、韓国生まれのアメリカ人女性なんですが(私とタメの1970年生まれなんすよね)、女は人種や民族や階級を超えて、さまざまな人に扮装して、それになり切って、映像や写真に収まります。それが生み出す違和感と、鑑賞者が向き合わざるをえない、という仕掛けになっております。お見事なコンセプトです。「自分は何者なのか?」という絶えざる問いを、これらの作品は発信しているのですね。その「何者なのか?」の答えがアイデンティティである、と徐さんは語ります。自らをアイデンティファイするもの、それは何か。それがナショナリズムで本当にいいのか、という話に本書ではどうしても結びついちゃいますけれども、私はどれだけ多くの議論よりも、その議論の端緒となるアートという存在にはかなわないだろうな、と感じました。シリン・ネシャット(Shirin Neshat)というイラン系アメリカ人女性のアートもしかり。ザリナ・ビムジというウガンダ出身アーティストしかり。ヨンスン・ミンしかり。まあ、とにかく勉強しろよっていう話です。

徐さんのホームフィールドであるところの「在日朝鮮人芸術」(これが在日朝鮮人文学と同様に成立するのかどうかはちょっと不安なところもありますが)でも、たとえば高山登、文承根など、面白い人たちを知ることができたのはラッキーでした。アートってのはしかし実際に見ないことにはどうもこうもならんわけでして、いいきっかけになったと思います。

最後に、「三人のユダヤ人」と小見出しのついた章で挙げられた人々をメモしときます。ジャン・アメリー、プリーモ・レーヴィパウル・ツェラーン。いやなかなか、興味深くて、掘り甲斐のある人々ですけれども、私が彼らの著作を読むのは一体いつのことになるのでしょう。

まったくなあ、もっと本読まねえとなあ…。