『青銅の基督』を読みました

長与善郎の『青銅の基督』を読みました〜。

青銅の基督 (新潮文庫)
長与 善郎
新潮社
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いやいやいやーこれまた面白いの読んじゃいましたね。でも世の中の読み物がこんな話ばかりだと読み手はたまりませんが。

飯嶋和一さんの作品と同じ素材だったつながりで読み始めたんですが、大爆笑の連続でした。長与善郎さんにまた会えた、久しぶりですっていう感慨もさることながら、もはやあんまり時代背景だとか歴史考証だとかそういうのすっ飛ばしてる感覚が、実にモダンな大正っぽいスピード感とだぶったり、大正時代の新劇がやってる舞台のような、あるいは浅草でやってる演芸のような、それとも宮本常一さんの描くような村祭りでやってる小芝居のような、とまあいろんなイメージがわき起こりましたねえ。別にラリってるわけじゃありませんよ、でもラリってしまいそうな、愛すべき作品です。

ついこの間の、吉村昭さんの著作の感想を書いたエントリーで、いわゆる歴史小説の立ち位置に関わることで腑に落ちないような書き方をしているんですが、それは単に本書と同時に読んでいたからなんですね。いま読了して冷静に考えたら、これは歴史を素材にした「異次元小説」です。史実の誤謬だなんだ以前に、吉村昭さんや飯嶋和一さんと比較できるわけがありませんね。

たとえば松本清張でも、笹沢左保さんの本でも心に浮かぶことなんですが、歴史読み物ってのは、いかにも手作業というそれぞれのやり方で納得できる位置に作品を研いでいて、それぞれに面白いと言えるわけですね、もうこのブログでも何度も繰り返し書いていることですがね。しつこいようですけど、歴史の確からしさというのは一体誰が保証するのか、読み手なのか、批評家や考証家なのか、そして確からしさが作品に寄与する部分とは一体なんなのか。自分の好みの範囲で考えていくしかないですねーこれは。彼女にすら言えないくらいの、完全に私的なもんですね。

長与善郎の著作はたくさんあるようなんですが、検索すると『竹沢先生という人』と本作品が多く出回っているようですね。あと『わが心の遍歴』。せっかくなので戯曲家としての長与さんをいつかDigってみたいものです。気が向いたら!