『世界は分けてもわからない』を読みました

福岡伸一さんの『世界は分けてもわからない』を読みました〜。

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
福岡 伸一
講談社
売り上げランキング: 3755

『生物と無生物のあいだ』も読んでたので、これ手に取ったんですが、なんと須賀敦子さんの『ザッテレの河岸で』からの引用があって、嬉しくなりました。読書はこうして繋がっていくもんなんすねー。

読み終えてみて、『生物と〜』の内容も思い出したんですが、やっぱり福岡伸一さんの文章の見どころってのは、どうしても研究者たちの生き様になってしまいますねえ。いったい研究室の中では何が起こっているのか、いたのか、そういうところにどうしても最も興味が向いてしまいます。なにしろ福岡さんは、ただの理系じゃなくて、文学的な理系の人ですからねー。博学ですから、須賀さんの文章の引用のあたりや、モナリザにモザイクかけてみたりするのも十分に面白いんですが、すべては壮大な前振りになってて、結局は分子生物学だっけか、そのホームに持ち込むための撒き餌っていう、あるいは力技っていう、なんかそんなことを感じました。

後ろ見たら、これは雑誌『本』にちょこちょこっと連載していたものなんでしょうかね。連載ものにしては、章立てがとても美しいですねえ。さすがに分子生物学者と言うべきか、各章が、まさにアミノ酸同士のように結びついてて、「世界は分けてもわからない」というタイトルの主題にそれぞれ微妙に関わってくるトピックが連なって、本全体がカスケード(滝)になってるという、あまりにも出来過ぎた作りじゃないですかこれ〜かっこよ過ぎです!

なにより須賀敦子さんの引用がアツい。コルティジャーネの絵は実は画商によって「分けられて」いたこと、後半研究者の「不治の病」という言葉の一致、マップラバーの地図とMAPという術語が一致して、それがイタリアの水路を思わせて、なおかつ須賀さんのこのお話が収められてるのは「『地図』のない道」というタイトルの単行本ですよホント。明らかに、この奇妙に一致しているという終着駅に向けて意図的に書かれているものですから、文章が実にテクニカルっすよねえ。唸りました。これは分子生物学の目で世界を見れば、本全体の作りもそう見えるってことなんでしょう。

ただテクニカルな分、大ヒットした『生物と〜』に比べると…ってのは感じますねえ。タイトルの謎かけというか問いそのものは、「部分は全体の総和か否か」というトピックが出た時点で半分以上答えが見えたようなもんですから。むしろ読み始める前から分かってたことかもしれないという。読み進めていくうちになにか説得されることを望みながら読んでいる自分がいる、みたいなそういう感じでした。知的な刺戟の種類が他のいわゆる「学者の書いた新書」とは異質の読み物でした。