『明るい旅情』を読みました

池澤夏樹さんの『明るい旅情』を読みました〜。

明るい旅情 (新潮文庫)
池澤 夏樹
新潮社
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須賀敦子さんがずいぶん推していたので間違いなかろうと思って読みました。結果大当たりでしたよ〜。

どうも私はヘタレなので、初めての作家さんを読む時に、いきなり気合い十分で魂入れて書いた長編巨編受賞作代表作よりも、例えばこの本のように、連載雑文寄せ集めの/力士で言うなら本場所ではない/お米を買うための原稿料を稼ぐ為に書いたテイの、を読む場合が多いことに、最近自分でも気がつきました。もちろん作家の特色によって、こうした雑文の得手不得手もあるでしょうけど、ワタクシは結構大事なことに気がついたんです。こうした本が文庫本として出るという点が重要でして、それはつまりそれだけお仕事のリクエストがあり、雑誌仕事のちょっと刹那的なお仕事であるにもかかわらず、要望が多くて大手版元が文庫化する…というプロセスを考えたら、まずこの時点で相当フィルター通っているわけですから、面白くないはずがないんですよねー。さらに池澤さんの場合はもともと詩作をされてたそうですから、このくらいの分量の文章も得意だったりするんでしょう。

でかい本屋に行けば地図や観光ガイドの棚の近くに紀行文の棚も置いてて、いろんなのがあるじゃないですか今は。漫画付きのヤツとかインドだのアフリカだの貧乏旅行だの危ない目にあっただの自転車旅行だの。申し訳ないのですが一度も手にとったことはございません。要するに、大体において「我が国」との比較でなんぞ現地の魅力を語るというフレームがもうつまらなくて、タイトルだけ読めば分かる感じがしてしまうんですねーこれが。

ところが池澤さんのスタンスってのは、もちろん旅好きを自負してらっしゃるし旅人そのものではあるんですが、まず蓄えている知識がこれまた相当なもんですねって思いました。あ、歴史についての知識を問題にしたいんではありません。歴史についての洞察と、それに対する謙虚さと、さらにそれを奔放に膨らませるイメージ、それらの点で池澤さんはすげえ人だなって思うし、もちろんそれらを表現できるってのがやっぱりすげーなあと感じました。それから媒体っていうのか、それぞれの雑誌のテイストに合わせたであろうテーマの汲み取り方や文体の違いなんていうのも、いかにもプロっぽい。そりゃそうだ、プロなんですけどね。

なかでもクレタ島の文章、『蜂の旅人』っていう、一番最後にありますけど、実によろしいですねー。読み手にはほとんど関係のないごく個人的な感情を、あえて底の方に流しっぱなしにして書いているような。

この十二年、いつだって一番したいことはギリシャの田舎で陽光に当たりながら蜂の羽音を聞いてうつらうつらすることだった。それをずっと我慢して、その時々すべきことを律儀にやってきた。そして、今、その最後の悦楽を実行に移してしまっている。すっかり自分を甘やかしている。この地で、ギリシャの神々はぼくを祝福している。日本に戻ったら、また罰が待っているかもしれない(こういう言いかたは日本語の文脈の中ではひどくおさまりが悪い。どうでもいいことを、一人むきになって、大袈裟に書いているように見える。あるいは意味もなく感傷的に響く。この種の幸福感をうまく伝える語彙や語法の用意が日本語にはないのかもしれない。)

どうでしょう。とりあえず引用した前半部分だけだと、ただのエエカッコシイにも読み取れますよね。な〜にがギリシャの神々やねん、と。しかしそうなることについて分かっているから、カッコ付きで注を入れているんです。いやあいいなあって思うんですけど、実は結局分かんないんですよねー自分には。ヨーロッパが好きで住んだことまであるような、例えば須賀敦子さんとかなら、やっぱり分かる部分が大いにあるんでしょうね。

解説の四方田さんがまた素晴らしいっすね。ツラツラっと短い文章で、紀行文学の大体の歴史と現在のありようを簡潔に語ってて、池澤さんの作家としての立ち位置をほぼ完璧に解説してる。素晴らしいです。ほんと、旅なんて本当に滅多にできるもんでもないですし、旅自体にハマった記憶も全然ないのですが、こうしてまた池澤夏樹さんの他の本を読もうって気になってる自分がね、なかなか悪くないもんだと感じてます。