『ドキュメンタリーは嘘をつく』を読みました

森達也さんの『ドキュメンタリーは嘘をつく』を読みました〜。

久しぶりの森達也さんで、読んだのは『下山事件』以来ってことになります。ただ、今回この本読むにあたって私は『A』を入手して観てたってのが割と助けになりました。それがないともう、内容がなにがなにやら分からなかったでしょう。 実際は順序は前後してて、こちらの本を途中まで読んでよく分からず、そのために『A』を観たって次第です。

この単行本は2005年にまとめられたものでして、現在の森達也さんがどういうところに行ってるのかさっぱり分かりません。ですが、すっかり内容忘れてしまったんですが一時期めちゃくちゃ売れて朝ナマにも出てた女の人や、元NHKのニュースを分かりやすく解説する人や、最近だったら原発放射能がらみでたくさん本を出している人ほどではないにしても、多分この本以降も森達也さんはいっぱい著作出しているっていう印象です。旺盛な仕事欲がまずあって、それを映像にもしくは文章にぶつけていく様は、なんかカラテの百人組手みたいなイメージがあります。拳をぶつける音が聞こえてきそうな文章です。この頃から書きまくってて、ずっと書きまくってるんでしょうね。

まあ2000年頃の森さんの文章の寄せ集めなんですけど、結構くどいなってのを除けばかなり面白かったです。マイケル・ムーアをこっぴどく批判してますが、森さんの文脈での批判はなるほどなーと一応納得しました。森さんいわく、最初の作品『ロジャー&ミー』だけはよかったと。観てないからなんともいえません。NHKの問題作『奇跡の詩人』は見るに値しないとする理由がとても面白かったです。これはもう、目から鱗、なるほどなあーと思いました。その他、日本のドキュメンタリー番組の有り様、山形映画祭、既存マスコミのことなど、広汎にわたる映画の知識をベースにちょいちょい語りつつ、ベースになっているのはやはりオウムの話。森さんもさんざん批判されてたんですねえ、知りませんでした。

テレビをロクに見ない自分がこの本をどうのこうの言うのもピントが外れているかと思いますけど、ドキュメンタリー作家という職業がどうやって成立しているかを想像したら、商業主義批判の大義もクソもあったもんじゃねえよなって気はします。いずれ彼岸か此岸のどちらかに立つことを選ぶしかないでしょうし、撮る方も観る方もあんまりキリキリしなさんなっていう気がしちゃうんです。いやあドキュメンタリー作品自体は大好きなんですけど、多分政治的な問題こそがドキュメンタリーのネタになっちゃってきた経緯があるからであって、それ言ったら本書にある最近の若手の撮った、割と等身大のドキュメンタリーの方が面白いぞという気はしてくるわけですが、多分映画館で観たら自分は監督のオナニーじみた映像にいたたまれなくなることでしょう。

ドキュメンタリーだ!ノンフィクションだ!って、ソレ専門って考えるからおかしくなってくるんじゃないのって気がしないでもないんですがね。例えば『A』なんて、ハリウッドでリメイクしたっていい題材だと思うのです。両方やれよ、と言いたい。まったくのフィクションから始めたって、そんなに変わらないんじゃないかと思うんです。フィクション、ドキュメンタリーのどちら側もネタをいつだって探してるし、ネタがあればそれに群がるって現象はいつだって変わらない。だから、森さんのいう、ドキュメンタリーが廃れてマスコミの状況はよりひどくなってる、みたいな話ってのは、私は歴史の必然だと思いますけどねえ。時間が経てばそれだけネタは消費されていくわけだし。変わるとしたら観る側しかなくて…とか気がついたらいろいろ書いちゃってますね。すみません。切り上げて撤収します。

あ、最後にこの本、装丁は日下充典さんです。印象深いわー。検索したら素晴らしい仕事の数々が!