『漂流』を読みました

吉村昭さんの『漂流』を読みました〜。

漂流 (新潮文庫)
漂流 (新潮文庫)
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吉村 昭
新潮社
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なんかもう、吉村さんの著作をいろいろ読むたびに、この人の凄さ偉大さってのがじわじわとボディブローのように効いてきますねえ。こんなすごい作家の真似なんて自分にはできないだろうってのもあるんですが、実際真似するにしてもこの道行ったらヤバいだろっていう感じがしてきます。ええっとそれはともかく、『破船』とセットで読むことをオススメしたいのですが、どうしてかっていうと、吉村さんという一人の人間が、史実からどのように想像力を広げているのかという、その頭の中の道筋をトレースすることができて、結構楽しいんですねこれが。『漂流』は史実、『破船』はどフィクション、非常に対照的で私のような軟弱な読者でも比べやすいっていう、この二冊はとてもよい素材です。

天明・寛政期にはるか南の鳥島に漂流した人々、彼らは実際に記録に残されてて、その記録と取材をもとに吉村さんが書いた小説ってのが本作です。相変わらずの史実ありきの文章で、プロットがなんだのかんだのと言う話はいっさい通じません。だって史実だし。もう読み手としてはそこの揺るがない部分に委ねて読み進めるよりないわけで、そのために、私も心地いいんだと思います、多分。多分っていうのは、実はこの本の「序」で、いきなり吉村さんはこんなこと書いてるんです。

私は、かなり以前から漂流者の記録に興味をもち、特に江戸期のものを多く読み漁ってきた。長平は、それら漂流者の中の一人だが、漂流者の記録を読んでいる間、私は、終戦後かなりの歳月をへてから南の島々で発見され、帰還してきた元日本兵のことを連想するのが常であった。

と、こんな感じで、本編に入る前に、吉村さんはアナタハン島の生き残りの日本兵に触れるんですよね。アナタハン島事件については検索すりゃ分かるように、いろんなメディアで興味津々に取り上げられた奇怪な事件であったわけです。吉村さんはこの生き残りにも実際に会ってるようなんです。どんだけやねんと。まずそこでびっくりするんですよ。そして生き残りの一人の女性についても書かれていて、一時期は興行師に雇われて「アナタハンの女王」として小さな劇場に出てた、故郷に帰りアナタハンという簡易食堂をひらいたりしたなどありまして、それから有名な小野田さん横井さんの話にも触れ、江戸期の海難事故といった話に続いて、やっと本編が始まるんです。

こういうちょっと特殊な構成を見てまず思ったことがあります。それは、太平洋戦争が遠い昔の話になってしまった現代では、史上最強の想像力を発揮しなければ、もはや既存の文学作品についていけないんじゃないかってことです。私はこの本の文章をつらつらっと読んで、確かに過酷な無人島での生活体験を共有したように思えたんですが、しかしなんとなく、明日起きて昼飯を食べる頃にはもうその実感は逃げようとしているのかもしれんなということ、さらにそれをいま分かっているという次第なんです。その繰り返しですよ〜困ったもんです。でも逆に考えたら、こんな私のようなボンクラ読者だらけだから、吉村昭という人の需要があったと言えるのかもしれないです。

日曜日に、菊池雄星がやっとプロデビューしたんですが、あの日刊スポーツの一面はよかったですねえ。あれがなければ昨年の雄星ブームはなんだったのかと。語り継ぐ人がいなければいずれは廃れるのはもうどうにも止められないのかもしれません。大津波しかり、アナタハンの女王しかりです。遥か古代の人々は、そもそも人間は想像力に欠けるんだから神話にしてしまえっていうもくろみだったのかもしれない。この本の主人公、土佐の長平が、無人島に生活用具一式を残そうとした行為に近いのかもしれません。無知ゆえに人は死ぬってのは本当なんでしょう。あと運動しないと人は死ぬんだー、と本書で実感しました。

最後に長平は生きて帰り、人々に無人島と渾名をつけられて、各地に招かれて無人島の話をして金品を貰ってたそうです。ここ、アナタハンの女王と同じなんですね。墓碑名には「無人島野村長平」と記されているそうな。この「その後」の生き様って、人に揉まれるもんだから余計に人間臭くなってるっていう気がします。