『読んで、「半七」!―半七捕物帳傑作選〈1〉』を読みました

『読んで、「半七」!―半七捕物帳傑作選〈1〉』を読みました〜。

読んで、「半七」!―半七捕物帳傑作選〈1〉 (ちくま文庫)
岡本 綺堂
筑摩書房
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やっと岡本綺堂の「半七」を読むことができましたー。半七最高半七読め読めと、さんざん宮部みゆきさんと北村薫さんのコンビが『名短編、ここにあり』で薦めていたもんだから、思わず同じコンビの編によるアンソロジーを買ってしまいました。「読んで!」ってタイトルにあるくらいだから読めってことですよ、読みますよそりゃあ。

ミステリーはさっぱり読まないので、宮部さんも北村さんも普段は現代物でどんなお話をアレされてるのか存じ上げないわけですが、『名短編、ここにあり』でのセレクトや解説やらを読むと、こりゃ信頼できるセレクターだと感じまして、まず間違いないだろうと思って買っておいた本なんです。しかし、まず間違いなくこの本は面白いだろうと思ってしまうと、なかなか読もうとしないもんです。買ってすぐに読んどけばよかったです。

まずこれは、『堪忍箱』『初ものがたり』でも同じことで、間違いなく宮部みゆきさんの時代物のネタ元だったんすね。全然知らんかった…! いやもうこれは宮部さんだけじゃなくて、江戸を舞台にしたあらゆる作品作家の一つの手本、教科書的な本なのだなと感じます。ヒップホップにたとえたらJBみたいなもんです。江戸という町が、消滅した外国の町なのではなくて本当に何世代か前の日本の町であったことを、手触りとして実感できるこの嬉しさは、他の時代物では感じられないですね。

リアリティという言葉で言うのもちょっと違う、この江戸の町を実感できる手触りは、第一に岡本綺堂の文体や構成によるもんなんでしょう。この本が明治の時代に書かれたものだから、まだ江戸の名残があったから、かもしれませんが、昔のことを振り返るという視点では明治も現代もそれほど変わらないはずです。なにしろひと世代前のことだって結構忘れちゃってるわけですから、維新のあったあの頃だってそこは一緒でしょう。創作物という点ではハンデは一緒だと思います。半七老人が昔話を語って、その登場人物がまだ銀座の時計店で隠居してるだの、御維新の時に奥州行って討ち死にしただの、と言えるのは確かに有利でしょうけど、江戸と東京は断絶していないと思わせるこれらの半七老人の言葉にしたっていわば「創作」なんですから、大したもんです。

よく時代小説を時代検証することがありますけれども、たいていの時代小説は齟齬があろうとなかろうと、勢いで書いちゃったものをこっちも勢いで読んじゃってますから、あんまり関係がないのですが、それにしても半七の場合は、江戸時代の風俗をナチュラルに描いてて、しきりに感心しました。芝居の話がたとえに出てくるのもそうですが、もっと手前の基本的な問題、例えば距離感だとか時間の感覚、江戸のことばや言い回し、それから貨幣価値の感覚、もうこのあたりからしてやられました。思わず「一両っていくらのことだっけ?」てのを検索してみたり、知識欲を駆り立てられます。

こんな感じの同じ道を、恐れ多いのですがたとえば司馬遼先生や藤沢先生も通ったものだと想像します。この本は多分、時代物の作家の業界内の話で出てくるようなものであったのを、いきなりこのような形で宮部さんと北村さんが紹介されたってのは、すげえネタばらしだと思うんすよね。もちろん時代物を書くにあたっての底本は他にも数知れずあるでしょうけど、余裕あるよな〜って思ってしまいました。

そんなところに感じ入ったものですから、和製シャーロック・ホームズとしての部分は、それが当時どの程度画期的だったのか、なんとも分かりません。松本清張も昭和の一頃の推理小説を批判的に語ってましたが、ミステリーにどうしても惹かれない自分としては、今のはダメだ昔のはイイとも言えないので、その辺は残念っす。まあ少しずつ馴れて行きたいと思います。