『始祖鳥記』を読みました

飯嶋和一さんの『始祖鳥記』を読みました〜。

始祖鳥記 (小学館文庫)
飯嶋 和一
小学館
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ちょっと私寡聞にして存じ上げませんでしたが、鳥人幸吉っていうのは結構有名なネタだったんですね。新田次郎さんが小説にしてて、さらには石坂浩二主演の映画にもなってるという。そういうのを知ってしまうと、読んでみて比べてみたくなっちゃうものですが、まあおいおいってことで。

今回読み終えて感じたのは、本作は、飯嶋和一さんの他の作品に比べると、登場人物がそれほど物語の中で跳ねることなく作家の統制の中で収まっているような気がしました。うーん、こう書くと平凡な作品っていう感想のように見えますね…そういう意味ではないんですけど、文庫の解説で北上次郎さんが、思わず「雷電本紀」はそれにしても良かった、と書き出しているのと、かなり近い感触だったんですよねー。これ書き上げるのにずいぶん苦心されたんじゃないかな、っていうのを感じてしまいました。

飯嶋さんの作品はディテールを詰めるので映像のようにイメージが頭に浮かぶんですけれども、仮に「始祖鳥記」を一本の映画として撮影するとしたなら、岡山、行徳、駿河の3つのクルーが同時進行で撮影を進めることになると思うんですね。そうなると、駿河のセクションだけがどうしても蛇足な印象を拭えないんですよねー。人物伝であるから、なかなかフィクションに思い切って振り切れないってのも気の毒なところですけど、やっぱり全体のバランスとして、駿河の章だけがボリュームとして少ないのが辛いところです。それでも読む方としては、いろいろありつつ駿河に落ち着いた幸吉のラストダイブがあるだろうなあっていうのを期待しながら読み進めていって、そしてああやっぱり、駿河で幸吉が最後に飛ぶわけです。このラストダイブのシーンは圧巻でした。どうやって書くんだろうとずっと思って読んでたんですが、美しいですよ。九州新幹線のCMのような美しさです。幸吉のお話としては結局、最後に飛ぶっていうこのシーンを頂点に、ドラマを積み上げていきたいところでして、だから駿河の章が短くてもなんでも、必要不可欠なんですね。

人々が鳥人幸吉に惹かれる理由ってのは、どうしても空を飛ぶ行為そのもののロマンにあるんでしょう。飯嶋和一さんの小説の登場人物の多くはロマン溢れる人物でして、侍のことをたいてい糞侍と書いて「ぶさ」と読ませ続けることからも分かるように支配階級が悪で、支配というものから脱出したい、飛び出したい、卒業したい(尾崎豊か!)というタイプの人物がベビーフェイスになっているんです。この作品にも、空を飛ぶというロマンに呼応する人々がたくさん出てくるんですよね。この幸吉に呼応する人々は、多かれ少なかれ幕府の政策を悪政ととらえており、飢饉で倒れた弱者にシンパシーを持っているのです。で、今作に限って言えば、ちょっと青臭さが鼻についちゃいました。岡山で幸吉がした行為がどれだけ人々に希望を与えたかを、確かに慎重に描写してはおりますが、幸吉の地元の人や親戚ならともかく、噂話しか聞いていない行徳の巴屋などが、単なる変人の戯れとしてとらえていないところなどが、引っかかりました。

『黄金旅風』でもさんざん出てきましたけれども、航海のシーンはさすがって感じました。幸吉はアホウドリの飛び方にヒントを得るんですが、吉村昭『漂流』に登場した鳥がアホウドリでしたね。確かあちらの水主たちは漂流した時に神籤を引いて方角を決めていましたが、その方法がナンセンスであることに感づいていた舵取りの杢平さんは時代の先端を行ってたってわけです。

それから、また魅力のある人物が出てくるんですよね〜。私が好きなのは砂絵師の卯之助さんです。まさかの生い立ちまで描かれていてびっくりです。メインの人物たちがとても自分とは違う優秀な人々だったので、自分にとっては卯之助さんが拠り所になるように感じました。