『三酔人経綸問答』を読みました

中江兆民の『三酔人経綸問答』を読みました〜。

三酔人経綸問答 (岩波文庫)
中江 兆民
岩波書店
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名著ってのもんは、読んでみるもんですねえ、ホント。すっかり中江兆民ファンとして目覚めてしまいました。幸徳秋水の『兆民先生』つながりで読んだんですけれども、この時代で一番好きな人は誰かと問われたら先ず兆民先生と言ってしまいそうです。

それにしてもこの三人による政治談議ですが、時代を感じさせないんですよねえ。明治20年、1887年に刊行されているんですが、使われている用語を知るために当時の背景を知る必要はあるでしょうけど、政治思想、社会思想としては、100年以上経た現在でもまったく違和感がありません。桑原武夫先生の解説にもありますが、日中戦争を契機に突入した昭和の政策を、豪傑君の論としてすでに予知していたという風に書かれています。といっても兆民先生は理詰めでこれを書いたのでしょうし、太平洋戦争はなるべくしてなったということでしょうか、そう考えると時代の歯車というのは恐ろしいものです。戦後の反省の時代を過ごしても、なお三者三様の議論というのは、普天間問題でも9条議論でも、竹島尖閣あるいは原発の問題でも、ぴったり紳士君と豪傑君と南海先生に当てはめることができそうです。それほどのスタンダードとなる理由は、これが酒飲み三人の政治談議という、取り繕わない場面で語られているからでしょう。細かい情勢というものにとらわれず、社会とはなにか、政治とはなにか、国権とは民権とはなにか、と理詰めで語られているから、風呂敷をめいっぱい広げているからでしょうね。かなり自由な大雑把な議論であるから普遍性が出てくるのでしょう。

もう少しこの登場人物たちに酒を出して、あることないこと語ってもらったほうがよかったんじゃないかという気がします。この形式で当時もし売れたんだったら、続編を出すのがスジってもんでしょうから、売れなかったのかもしれませんね。まああんまり売れちゃうってのは兆民先生らしくはないって気もしますけれども。

読書すると、なんかこういう感じで糸が垂れてくるんですよね。それが消えないうちに次の本を読まないと、きっかけがなくなってしまいそうで。とりあえず兆民先生をひとつの軸として、このあたり掘っていけたらいいなと思います。