『在日』を読みました

姜尚中さんの『在日』を読みました〜。

在日 (集英社文庫 か 48-1)
姜 尚中
集英社
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面白かったです。在日朝鮮人は存在自体がドラマチックなんですよね〜。姜さん的には世界に存在するディアスポラだったりあるいは新しい貧困層だったりと重ね合わせているんですけれども、それは確かにごもっともなんですがね。しかしこの本読むと、在日朝鮮人の政治的な立場の特殊さってのは、なかなか他に例がないんじゃないかと思うのですよ。

一世の人々の記憶が、姜さんの人生のベースにあるんですけれども、一世と言っても千差万別ですよね。姜さんの「おじさん」と叔父さんの例だけではなくて、樺太で終戦迎えて帰ってこれなくなった人もいるし、中国の朝鮮民族自治区にもロシアにもアメリカにもいるし。コリアンディアスポラはかなりの数にのぼると思いますが、それぞれにドラマがあるでしょう。恨の文化が一体どういうものかはまだ私には分かりませんが、故郷と自分が引き裂かれて切望する気分は、ちょうどブラジル音楽のサウダーヂみたいな気分に該当するような気がします。

そのドラマチックな絵、「哀号〜」と泣いて唄う絵というのは、絶対的な被害者である立ち位置から揺るがないわけで、そのことが賠償だ謝罪だと言いつづけるあのメンタリティとも重なるのは当然のことなんです。あまりにも姜さんの家族についての私的なセンチメンタリズムに関わる文章が美しいので、在日の人はみんなこのくらいの泣ける文章を書けちゃうんじゃないかと一瞬思ってしまいました。

この本の個性ってのは、姜さんが政治的な発言をする人だけに、自伝的な内容にプラスして、国際政治の読み解きも書かれている点です。いかにも食い合わせが悪そうなんですけど、在日だからこそ書けたのでしょう、意外にもすっきりと読めました。ごっつい想像力であの朝鮮を日本語で掘り起こした的ないわゆる「在日文学」とはちょっと違ってて、ある意味時勢をクールに読み解いている点がいかにも姜さん風だなあと、さすがにメディアから仕事がくる人だなと思いました。

「国」が嫌いなので、政治的な話はどうも苦手なんですが、ちょっとだけ触発されたので書いてみましょう。

私は、過去の朝鮮人の差別というのは、端的に言葉(文化)の問題と貧困の問題であった、と一応断じています。貧困の問題が克服された現代においては、文化の問題なんて簡単に乗り越えられるもんだろうと考えます。「国を憎んでも人を憎まず」です(この国ってのには日本国も含めてます)。つまり国同士はどうあろうとも知らねえが、人同士はいがみあう必要はないだろっていう、なんだかジョンレノンみたいな理想論ですけれども、まあ一応そう思っています。

で、そういう立場から姜さんの話を読むと、いかにも南北統一が悲願だという雰囲気ですが、政治的な達成と人間的な達成はまったくリンクしないでしょう。そんなもんいまどきの韓国の若者だって興味があんまりないってのと同様に、在日にとっても大して変わりませんよ、と言いたい。それよりは人間的な達成を(なんかこの言葉、池田大作みたいですねw)実現するために場所だけ整えるのが政治なんじゃないかと思うんですね。「日本国籍を有する朝鮮人」は「日本人」ではないことを、制度的にもはっきりさせて、共存していけるようにするべきでしょう。新たな貧困層にとっては、「在日利権」という言葉にも表れている通り、明らかに制度が批判の対象になっとるわけで、これまでのような先送りの戦後処理をそのまま引き継ぐようではいけないですよっていう。「日本国籍=日本人」という概念をなくさないとならんなと、そのためには教育ですなっていうね、まあそういうことです。

そういうわけでして、外国人の地方参政権には反対です。フジテレビの韓国寄りはどうでもいいですw。