『津軽三味線ひとり旅』を読みました

高橋竹山の『津軽三味線ひとり旅』を読みました〜。

津軽三味線ひとり旅 (中公文庫)
高橋 竹山
中央公論新社
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1998年に亡くなった三味線奏者の第一人者、高橋竹山の半生記です。初版は1975年で、高橋さんの傍にいた佐藤貞樹さんが聞き書きした内容を体裁よくまとめた本です。このことを知ってひとつだけ惜しいと思ったのは、この本が、高橋竹山がなにかと芸術と名の付く方面でもてはやされた後半生にはまだ至っていない、という点です。しかしそれでも、明治生まれの高橋竹山が過ごした戦前、戦後の東北北部のなりわいの生々しさが非常によく書き表されていて、とても貴重なお話を読ませていただいた気分になりました。

例えば高橋氏が昭和8年に三陸沖の津波に遭遇した話などは、いま読んでこそのものだと思いますし、戦前の香具師たちの生業などの記述も興味深く読みました。まあ香具師とか詐欺師ってのは、昭和の中ほどまでにもいっぱい珍妙なのがいましたから比較的イメージもしやすいんです。ただ、一戸一戸回って唄を披露する「門付け」、田舎の農家の座敷を借りて行われる「唄会」といったのは、今ではなかなか聞かない話ですからねえ、おもしろかったです。

戦前から戦後にかけてそれはもう貧乏だったデハ、ダドモ楽しかった〜、という話の筋道だけでも、これだけ興味をそそる素材がいっぱいあるのに、その上で高橋さんの音楽論や師弟論の一端も読めて、これは大変な一冊ですよ。ひとりの盲目のブルースマンの半生として読むとしても最高でしょう。

じょんから節などの民謡が、旅芸人たちの現場、あるいは放送やレコード化によって、少なからず変容していったことが読み取れたんですが、これは恐らく当時、世界中で同じことが普遍的に起こったのだと思います。あるいは、「津軽三味線」とは高橋竹山が「創造」したものだとも言えそうです。高橋さんが少年の頃に聞いた安来節には、出雲の島根県独特のニオイがしていたそうですが、それを現代の私たちが復元することは可能でしょうかね、もはや無理でしょうね多分。しかしそれでも、津軽三味線津軽のニオイを求める聴衆や演者がいる、ということも確かです。一体なにが高橋さんの言うところの「津軽のニオイ」なのか、具体的に目の前に出せるものといったら「高橋竹山のCD」しかないわけであって、なんとも頼りないですね。でもそんなのは歴史の必然ですからね、開き直るしかないでしょうねえ。

もう一点、すごく興味を惹かれたのは「労音」の存在です。戦後に高橋さんが成田雲竹とともに各地の労音に呼ばれたことが、その後脚光を浴びる端緒となったのですが、労音から渋谷ジアンジアンなどのサブカルの元祖みたいなコミュニティやコネクションへとつながっていくのは、なにか「音楽の大衆運動」とでも呼んでみたくなるような大きなうねりがあったんだなあ、と感じました。この時代のうねりと比較して、現在を音楽の危機と表現するのは早計でしょうか。いやいやいやー、このCDが売れない時代に何やったって無理っすよー、暴力団排除条例もできたことだしねー、時代の流れっすからねー。それも分かります。

私は音楽の現状を見るに、「演者は媚びるな、聴衆は馬鹿にされるな」と言いたいです。あんなもん、大きなビジネスになったこと自体が間違ってるんです。門付けで十銭か五十銭かを貰って津軽の農村を回っていた時代が、案外と普通だったのかもしれない、とふと思ってしまいました。