ワタクシも脱原発について考えた

選挙っすね。党首討論も見ちゃったなあ。

 

脱原発」というのは文字通りの「お題目」だなあと感じた。

 

考えてみたら現在の時点で「原発ガンガン推進しまっせー」と言う候補者ってのはイカれてるわけで、はっきり推進したほうがいいと思っていたとしても、どのみち有権者の感情を咀嚼して、フェードアウトだの新エネルギーへの転換だの、不思議な言葉が付録で付いてくる、そりゃしょうがない。「国民の目をごまかすな~」って話ではない。少なくとも政権与党の民主党、あるいは政権与党だった自民党は、いろいろ実際に仕事してきて、できることとできないことが分かっているはず。それを踏まえての公約。そっちの立場にたてば、原発一斉に凍結して稼働停止しろーみたいな威勢のいいことは言えないし、言ってる政党を見ると「そんなのできっこない」とも言いたくなる。

 

つまり、脱原発の道は険しいってことなのだなあ、と思う。

 

ただし、「お題目」だとするなら、心願成就するまで唱え続けるべきものだ、とも思う。その役割を放射脳な人々が今後も担ってくれると思うし、それでこそ全体の世論のバランスが取れるんじゃないかなって。なんかこの考えは茂木健一郎風だなあ。

 

党首討論見てると、特に民主、自民は、自分たちに経験があることをほのめかす。経験は大事だろう。民主党の埋蔵金の失敗とかを思い出すように、知らない連中があれこれやってこうやればよくなる、と言ってるだけなら、結構誰だってできるもんね。マック赤坂だって実現したら相当いい感じの世の中になると思うし。じゃあ経験ない奴はみな無理かって言ったらそんなことはない、というのも踏まえて、今回の選挙は、「ヤリチンvs童貞」という構図なのかな、とひらめいた。そのためこんなクソ文章を書いている。

 

与党童貞にとっては、脱原発も、消費税凍結も、やれるはずと思っている。ところがヤリチンのほうは、実はもはやそういうところに視点はない。おっぱいやアソコってこんな風に攻めたらいいのになあ、って童貞はモンモンと考えるけれども、実際にヤリチンのほうは、いかに一週間でオンナ10人くらいをさばこうか、ぐらいのことの方が重要だ。原発っていうオンナは、多分相当厄介なんで、ある程度見切りをつけているはず。そこには電力業界のしがらみもあるだろうし、御用ナンタラの抵抗もあるだろうし、ドイツの先例通りにはいかない、それを前提にして、ヤリチン党の人たちはしゃべってるんだろう。

 

ただね、「お題目」っていうのはポピュリズムだなんだと小馬鹿にされるんだけど、案外馬鹿にはできないもんだと思っている。なぜなら議論のループにハマらないから。「原発いらない!」「そうはいうけど経済は?電気は?」「そんなのより命が大事!」「命が大事つったって食えなきゃダメだろ?」「ドイツがやってる!」「ドイツとは事情が違うだろ」「福島の人たちが!謝罪!賠償!」…議論といっても、こんなのを延々と続けるハメになるだけ。だけど「お題目」なら、ただ唱えてりゃいいわけよ。人になんて言われようと、言い続けたもん勝ち。

 

だから、割と達観した心持ちで「脱原発」と言い続けてりゃあいいと思った。

 

おわり。