『マルコヴィッチの穴』を観ました

マルコヴィッチの穴』を観ました〜。

これ、かなり自分の記憶の中でも薄れていたんですが、観たのは二度目です。私はなんかこうカルトな映画を自分好みに観るというより、周りの評価に促されて、なんかこうアートな雰囲気に流されて観てしまうという、いい大人の年齢であったはずなんですが、高校生か大学生の考えそうなモテたい願望があったような気がします。ここは強調しておきたいんですが、決して頭がボケて間違ってもう一度観たというわけではなく、キャサリン・キーナーをもう一度じっくりと見るために観たんで。

そしてもう一度観た感想は、ですね、実は初見の時と大して変わらず、やっぱりマズイなっていう…各所でのこの映画の高評価が本当に気持ち悪いです。絶対面白くないだろ、と確信しているんですけどねえ、個人的には。気になっちゃったのは、携帯電話があまり出てこなくてイエ電がまだ大活躍してるという、1999年公開の映画ですから、ああ確かにそんな感覚だったかな、と。そしてこの10年でインターネットが普及したせいか、「他人の脳につながるトンネル」という設定が実に古く、牧歌的な感じすらします。そんで高速道路の脇に落ちてくるというセンスも古い。

笑える点は少ないけれども、ただしお話の構想ってのは、前に観た時よりもよく分かって、ああ多分こういうことを意図しているんだな、と斟酌して見られるようになってまして、随分自分も優しい観客になったもんだとか思ったり。


キーナーについては、改めて見ると実に意欲的な、肉欲的なキャラっていうんでしょうか、あの天井の低いオフィスにいるキーナーのエゲツナイ程のエエ女のカッコヨサが出てまして、たまらんですなあ最高です。