『セントアンナの奇跡』を観ました

スパイク・リー監督の『セントアンナの奇跡』を観ました〜。

どうしても「スパイク・リー監督の」が頭の中でついて来てしまう映画なんですが、人種差別に関するラインには敏感になってしまって、そういう自分がイヤになりましたねえ。誰が監督かを伏せた状態で観たかった、というのが本心です。映画作品に関して「スパイク・リーなのに」「スパイク・リーだから」という話に終始してしまうのはもったいない。こういう名のある監督のデメリットでもあると思うんですが…。

これ、原作があるそうです。第二次大戦中のイタリア戦線の史実にのっとった部分も数多くありますが、「セントアンナの虐殺」のくだりがああいう感じであったかどうかはなんとも…全体的には戦闘シーンはおとなしめで、お話の本筋ではないからかなとも思ったんですが、どうもイタリア戦線そのものがそれほど激しいものではなかったようです。とはいえ激しくないとは言いましても、戦争っすからねえ…人がバンバン撃たれて殺されていくのを、こちらとしてはただ画面の前で観ているしかないわけで。欝になります。

それでも戦争映画は、国家や民族、当時の文化や感情が、現在の視点でどのように描かれているかを考える素材としては重要だと思います。本作に関していえば、まず通称バッファロー・ソルジャーについての描写があり、イタリア北部の山間地域の家族、パルチザン、そしてナチスドイツと、ま〜あそれぞれ思いっきり、好き放題に撮ってて、それをつなげたら2時間半もの長尺になっちゃったということでしょう。観る方としては長すぎた気もしますが、撮る方にしてみたら気持ちが良さそうです。

トスカーナ人家族とアメリカ黒人部隊の、お互い言語が違うやりとりを、古い田舎の町並の中で撮った絵は特に素晴らしいですね。こうしたシチュエーションが実際にかつて戦時中に起こったということを、知らしめた功績は大きいと思います。古いトスカーナ人の教会や自宅での描写も、ある意味ステロタイプを利用しており、なるほどアメリカ人監督だなっていう。イタリア映画ならこうはならないんじゃないかなって思います。

ナチス軍の描写もそれと同じ意味で面白く、コミカルになってしまうギリギリの演出が、いわゆる悪役の雑魚キャラの効果を出していて、大衆に許容される「非人道的なナチス軍」の演出のラインはこの辺なのだなあと納得しました。パルチザンの描写と合わせると、とてもバランスのとれたキャラの乗せ方だったように思います(イタリア人俳優は揃って多少オーバーでしたけど、あんなもんなんでしょうか?)。

最終的にそれはねえだろって思えたのは、作品の肝心要の部分なんですが、冒頭の殺人の動機ですね。どう考えても40年越しに人を殺す動機が分かりません。戦争から生きて帰ったなら公民権運動もベトナム戦争も見て過ごしてきただろうに。殺人事件の起こった1983年12月というのは、マイケルジャクソンのスリラーのPVが出たMTVの時代ですよ。それなのにいまだに第二次大戦を引きずっている郵便局員というのが納得いきません。それほど戦争はトラウマを残すんだよ、と解釈しておりますがねえ。

「彼がなぜ殺したのか」の答えを見ようとしてずーっと作品を観ることになるので、最終的に冒頭の事件に納得いかないのはダメな点だと思います。これがなければどれだけ良かったか。しかしこの冒頭と最後に挿入された現代の話というのは、この作品のきっかけにもなっている部分だし、最後のファンタジーも避けられそうにないようですから、そこだけが残念でした。

あ、子役については特にありません。卑怯だともアザトイとも感じませんよホントにホントに。