『マン・ウーマン〜ジャマイカ ダンスホール・クイーンの真実〜』を観ました

『マン・ウーマン〜ジャマイカ ダンスホール・クイーンの真実〜』を観ました〜。

ジャマイカのモンテゴベイで開催された「世界ダンスホールクイーンコンテスト」というイベントを追いつつ、レゲエの現場に関わる人々の話を交えてまとめた作品。とても勉強になりました。カルチュラル・スタディーズの素材としては極上とも言えるダンスホールレゲエの現場ですが、その一面がうまく映像にまとめられて、十分満足しました。

原題も邦題も、ダンスの現場でのジェンダーについてのお話を匂わせているんですが、事はそんなに単純ではないんです。ダンスホールレゲエのダンスはエロではない、ハレンチではない、これはダンスである、ある意味プロレス的なものだろうなあってのは見る前から想像がついたんですが、そこで生じる疑問はなにも解消されないままに、ちょっと異文化の迫力に圧倒されつつ観終わってしまったという感じです。

インタビューされているいろんな人の話を総括するとですね、ダンスホールレゲエ、特にその現場、場所、空間というものを説明するのは、非常に複雑で、耳学問では足りないな、ということです。なんとか女史やなんとか詩人が登場して、ジェンダー論に立って噛み砕こうとしても、アフリカの文化から説明しようとしても、やはりどこかに矛盾が生じるんですね。ジャマイカの男女は性的に保守的だということ、男性のバットマン賛美の文化があること、二大政党の政治的対立があること、貧富の格差…などなど、それぞれの話はどこかで見たり聞いたりしたことなんですが、それら全体があってどうして現在のようなダンスに行き着いたのか。一番もっともらしいのは、富裕層がアメリカのR&Bに惹かれる一方で、貧困層のカルチャーとしてもともと存在したダンスホールでの、アメリカ文化に対する潜在的なカウンターとしての表現、といったところでしょうか。

やっぱり実際に踊ったりしないと、なにも分からないも同然かもしれないです。現場ですげえことして目立とうぜ、というやんちゃな発想の積み重ねの結果のはずですからねえ。考える前に踊る、これと同じことを感じたのかもしれませんが、特典映像のクリス奈美さん以外にも、めちゃくちゃ多くの日本人が映像にチラチラと登場しています。ダンスホールレゲエの現場にこれほど多くの日本人が惹きつけられて入り込んでいるのを考えると、相当魅力的で、なにか不可思議な、強烈なカルチャーだということなんです。「日本の男のコはとてもシャイで〜、ジャマイカの男のコはたくさんの女のコと付き合ってて〜」とクリス奈美さんが語っておりましたが、ああいう語り口は実際に現場にいるダンサーならではの感じ方だと思いました。

途中で気がつきましたが、こういうカメラの前でダンスホールレゲエについて説明をするという行為は、世界に向けて、というより「西洋社会」に向けて解説する行為と同様なんですね。なぜなら内輪に向けては説明不要の事象だからです。「見る前に踊れ」という言葉通りです。ですから、この映像で伝わるメッセージはほとんどありません。解釈している人の言葉にもあまり意味はないように思えます。

ところでYouTubeで「Dancehall Queen」で検索してみると、世界中のコンペティションの動画があります。本作品が撮られた時点以上にダンスホールレゲエの状況は世界的なものになっており、ジャマイカの、モンテゴベイの、と限定されたムーヴメントとはもう決して言えない明らかな状況を目にすると、理解する前に踊ることの方が確かに重要であるように感じます。しかし、それでも誤った解釈をする前に、こういった素材は見ておかなくちゃならない。単純な疑問、例えばセックスするような動きのダンスは恥ずかしくないのか、同性愛をディスるのはガチなのかプロレスなのか、といったことについては、この作品の監督もある程度納得できるほどには突き詰めております(そうじゃないと映像作品の意味がないですから)。しかし、ネットでどんどんムーヴメントが流れる時代には、監督の意図を超えるような態度で観る必要があると思います。アティチュードは大事、と作品内のダンサーも語ってました。

世の中にはまだまだ知らないことがたくさんありますねーってことです、ホントに。red label wineも飲んだことないしねー。