『サンキュー・スモーキング』を観ました

ジェイソン・ライトマン監督の『サンキュー・スモーキング』を観ました〜。

なにも考えずに「ジェイソン・ライトマン」タグを作っているんですが、そういえば最近の映画って、特に監督の名前で通して観るってことをしなくなったなあと思います。劇場だったらなんとか監督特集ってのやってますけど、古臭いのが多いじゃないですか。やっぱり映画マニアの方ってのは監督つながりで観ることの方が多いんでしょうか。昔だったら制作現場がマニュアルだったけれども、最近はデジタル化が著しいし、プロダクションだって分業体制がばっちり出来上がっているから、監督のやることは現場の雰囲気作りを率先してやるっていう感じじゃないかなーなんて思っていますけどどうなんでしょ。それから映画監督ってあまりにも「鬼才」が多いもんですが、実際通して見てみると大したことのない作品もあったりして、ホントの鬼才はそんなに多くなさそうな気がしますがどうなんでしょ。そもそも「鬼才」が作るような映画がコケずに売れる保証なんてほとんどないっていうのが実際の映画の世界なんじゃなかろうか、特に現在の21世紀で長く業界で生き続けている映画監督はソロバンをきちんと弾けるような人じゃなかろうか、結局かつてのヒット作の大監督は名前だけで食ってるようなもんじゃないのか、とも思ってます。

そんな中で、私がジェイソン・ライトマン監督をどうして好きになったかという理由は、ホントに主観で申し訳ないんですが、この人はコメディをナメてないというか、笑いを取ることはタフなことであることにとっくに気づいてる人だなって、直感で思ったんですね。具体的には『マイレージ・マイライフ』でのダニー・マクブライトの使い方、『ジュノ』でのレイン・ウィルソンの使い方が、それぞれ憎らしい使い方でちょっと驚いたってのがひとつあります。かといって、すべての映画を何かひとつの個性でまとめることができるかっていうとそんなことはなくて、まあいろいろやってるっていう、でもコメディに対する軸はブレてなさそーうな、そんな気がしたっていう。あくまで感想です。まあなんとなく気になっている監督ですっていうだけのことです。ただ本作『サンキュー・スモーキング』の冒頭、タバコのデザインを模したクレジット部分のテイストは、彼のシグネチャーと言ってもよさそうですね。

本作品は2005年の製作で、いうなれば「初期作品」にあたるわけです。だからなんか好き勝手なことやってんじゃないかって思って観たんですが、素人でも感じる映画セオリーのミルフィーユみたいな映画で、贔屓目なしに結論を言えば、ほかのヒット作品に比べたらそれほどオモシロくはなかった、というのが正直な感想です。タバコ吸ってるシーンはきっと出てこないんだろうな、あるいは最後に一服出てくるのかな、と思ってたら結局出てこなかったし、子役がよく動くからきっとこの子供に何か示唆を受けるんだろうな、と思ってたらやっぱりそうだったし、カーチェイスっぽいシークエンスは…と思ってたらそれが誘拐のシーンだった、みたいな。ただし、ニコチンパッチを貼られまくってリンカーン像に横たわっていたクダリはクソ笑いました。

役者陣も残念ながらほとんど馴染みがなくて、これから観ますすいませんって感じ。皆さん印象が薄いってわけじゃないんですけどね…キャスティングが多少素直かなっていう気がしました。ウィリアム・H・メイシーが議員役ですがいかにもフツー、映画界の大物役のロブ・ロウもなにかとフツー、女性記者役のケイティ・ホームズもなんとなくフツー。誰かがどこかでグッサリ刺して欲しかったです。

そんな中で劇薬だったのは、上司役のJ・K・シモンズと、銃器業界のデヴィッド・ケックナーです。上司役のJ・K・シモンズベトナム戦争の生き残りっていう設定がホントによく似合ういかにもボス然とした所作、いいですねえ。この人好きですねえ。自分の中ではリチャード・ジェンキンスと並んで、柔と剛、ハゲオヤジ俳優の両横綱です。昔の映画なんて掘り返して見るほど余裕がねーんですけど、この2人だったらこれまでの出演作品を振り返って見てみたい気持ちになります。オッサン俳優に歴史ありっていうところを確かめてみたい。ハゲ繋がりですけど、デヴィッド・ケックナーは『俺たちニュースキャスター』のスポーツ担当で覚えています。

振り返ってみますと、こういうキャスティングでコメディを作ろうとしたっていう志、これがジェイソン・ライトマンなんだなあって気がしてきます。そうやって、無理矢理テーマを監督の方に引き寄せようとしたいだけでしょ自分は、っていう。そういうことですよねナントカ監督特集って。