『ラム・ダイアリー』を観ました

ブルース・ロビンソン監督の『ラム・ダイアリー』を観ました〜。

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ワーナー・ホーム・ビデオ (2012-11-07)
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いやあ、変な映画ですねー。「ゴンゾ」ジャーナリズムでは神扱いの作家、ハンター・S・トンプソンの自伝を原作にしています。主演ジョニー・デップだから、まあ絶対普通の映画にはなりそうもないのは感じていたんですが、ここまで変だとは、感激です。「序盤、中盤、終盤、隙がなくて、やく、役者たちが躍動する変な映画でした。でも俺は負けないよ」って感じに、あの将棋動画をなぜか今思い浮かべてしまいました。そのくらい変だった、ということです。今までも結構変な映画は見てきたつもりなんですけどねえ。

この変な感じを、果たして私はうまく説明できるのか…思いつくまま書き並べてみようと思います。

舞台設定は1960年プエルトリコのサンフアン。独立党の流血の惨事が相次いだ50年代からの流れもあり、庶民は反米的な熱気でムンムンしている中に、アメリカ人がベロベロに酔っ払ったテイでやってきます。目的はプエルトリコの地元紙に就職するため。この新聞社、ほとんどの社員が勤務中にラム酒を飲んでて、まーあ誰も彼もがベロンベロン。マスゴミなんて言葉が出てくるはるか昔のマスコミは、ホントに名前のとおりにゴミ人間の集まりだったんですねえ。おそらくジャーナリズムというものを現在まで牽引してきた人たちは、数%のシラフの人間であったんでしょう。

映画の楽しみのひとつには、映し出される風景を楽しんで旅行した気分にもなれるっていうのがあります。私もこの映画、プエルトリコを舞台にしているというんで、行ってみたい場所のひとつであるプエルトリコを堪能できるんとちゃうかと思ってたんですが…冒頭の選曲からして変なんです。某ビールのCM曲としても有名な「ボラーレ♪」なんですが、ディーン・マーティンのバージョンが流れます。プエルトリコのことを多少なりとも知っている観客が、プエルトリコのなにがしかを期待して見ているとしたら、実はもうド頭から裏切られているんですね。「ボラーレ」は、劇中でも使用されているコルティーホのバージョンが「本物」であり、ディーン・マーティンのジャズ風アレンジから思い浮かべるイメージは、音楽産業的に見た「アメリカによるプエルトリコの搾取」そのものなんですよ。すなわち、この選曲は、映画のお話とピッタリ合っているんです。鳥肌が立つような上手なセンスです。


そのディーン・マーティンのボラーレをバックに、宣伝用の赤いプロペラ機がプエルトリコの美しい島を見下ろしながら上空を飛び、高層ホテルを横切ると、客室の窓に目が充血したアメリカ人が立っている…いや〜あ、映画ですね! 映画ですね確かに。カッコイイ冒頭シーンです。60年代の設定ですから、登場する車やファッションもみんなカッコいいんですが、極めつけっていうのは、アンバー・ハードの飛び切りのクラシカルな美しさといったらもう…ここまで女優はキレイになれるってことにしびれちゃいました。田舎のヤリマンだったくせに、大麻のオッサンと付き合うビッチJKだったくせに、ゾンビに怯えつつもゾンビになってしまったくせに…今回ばかりは、完全にアンバー・ハードの美しさに心を奪われました。彼女が超絶美女であったという点が、1960年プエルトリコの金持ちヤンキー層という設定を確かにしています。終日ベロンベロンの状態でこんな美女に出会ってしまえる島、というトロピカルな幻想を、アンバー・ハード自身が体現しているという、とても荷の重いやりがいのある役どころだったと思います。

これだけだったら、「いろいろ考えましたが結論としてはこの映画はアンバー・ハードでした」で終わっちゃうんですけど、そうはいかない。そんな単純なものではありません。主人公のジョニー・デップ、鬚カメラマンで闘鶏好き役のマイケル・リスポリ、アル中廃人でナチス好き役のジョヴァンニ・リビシ、この3人の達人たちが繰り出すテンポ感は異質で、『ゾルタン★星人』みたいなラリパッパ映画を思い出しました。ジョヴァンニ・リビシの演じる廃人役はともかく、すべてのシーンにおいて「あれ、今シラフに見えるけど実はベロンベロンなのか?」っていう疑惑が湧いてくるような演技が絶妙でした。特に目薬シーン、呪術師シーンの2つは、忘れようにも忘れられません。普通のシーンの中にこういう奇妙なシーンが挟まってくるんで、複数の監督、複数の脚本家がいるんじゃないかと思うほどでした。しかしラリってぶっ飛んでるシーンってのは、いろんな映像表現ができるもんなんですねー。

酔っ払ってるから車に乗って帰ろうとしても同じ場所に戻ってくる→腹も減ったから肉食おうぜ→厨房閉まってる?うるせえ肉よこせ→おい地元民がこっち見てるぞ→逃げろやばい追いつかれた→自家製ラム酒でファイアー→逮捕、この流れは楽しかった。こういったシークエンスで魅せる良質な笑いがある一方で、編集長のズラ、チンポ見てくれ、車の振動でホモっぽくなる、などのゲスいネタも随所にあり、全体として良質とゲスが不思議なグルーヴを織り成しています。ひとつの作品の中でのゲスと良質の振り幅がここまで大きい作品も珍しいんじゃないかって思います。たいてい、ゲスならゲス、良質なら良質っていう、制作側の意図が感じられるものなんですが、よく分からないという、そこも変な映画だなって思った部分です。

それでいて、先にも書いたアンバー・ハードの蠱惑的な美しさでしょ、それにプエルトリコの海の美しさ。クラクラしますね。『サンキュー・スモーキング』で主役のタバコPRマンを演じたアーロン・エッカートは、本作では島の土地を使って悪巧みをする超金持ちの役でしたが、いやー、さすがだと思ったのは、この人全然悪人に見えませんね。お話的には相当悪いことやってるはずなんだけど、スマートな振る舞いが実にハマる役者です。もっとだらしない人格を演じたりすればいいのになって気も少しだけしました。とはいえ、この善悪でとらえられない人物の配置というのも、この映画の魅力です。

劇中、ちょっとだけケネディ大統領がテレビに出てくるシーンがありました。新聞社の面接のシーンから感じていたんですが、これはエマ・ストーンの『ヘルプ』と非常に対照的な映画で、あちらのエマ・ストーン演じる記者さんは、持ち合わせたリベラル思想でもってアメリカ南部の風習に違和感を感じ、最終的には黒人メイドの本をまとめる、という美しい話の流れを見せています。本作のジョニー・デップも同様にリベラル思想を持ち合わせてはいるみたいなんですが、基本的にはベロンベロンだし、ワルの片棒を担がされるわ、会社はつぶれるわで、結局お前なんにもやってないなっていう。終盤で何か後の作家としての成功を臭わせるように文章を書き始めるんですけど、成功するまでの話は映画では描ききっていません。このぶった斬り方は、原作者ハンター・S・トンプソンの「ラム酒にまみれたプエルトリコ時代の思い出」だけを忠実に再現し、編集長のセリフにもありましたが「プエルトリコの二重性」を引き立たせるためでもあったのだろうと思います。アーロン・エッカートが演じた金持ちは決して悪人ではないし、最後に文章で立ち向かおうとしたジョニー・デップの判断も復讐心からだけでは正しいとは言えないだろうし、販売部数が少ないから広告頼みなんだよバーカと言ってはばからない編集長もハゲとは言えないし、そういった善悪の判断が、ラム酒カリブ海の海とアンバー・ハードの美しさによって、なんだかよく分からない感じになっている、そんな映画です。ハンター・S・トンプソンの作家としての志向性が、こうした二重性の土地プエルトリコで醸成されたことを思うと、味わい深いですね。

と、ここまで一気に書いちゃいましたが、簡単に言うと「変な映画」です。これで済んじゃうw。あとは原作者トンプソンのゴンゾ方面に興味を持っていくかどうか、が分かれ道ですねフフフ…。

Rum Diary
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