『グリーン・ホーネット』を観ました
ミシェル・ゴンドリー監督の『グリーン・ホーネット』を観ました〜。
セス・ローゲン、ジェイ・チョウ、そしてキャメロン・ディアス…どういう経緯でこうなったかは分かりませんが、史上最悪級のキャスティングを楽しめると思えば、見る価値がある作品だと思います。
同名のコミックが原案となったテレビドラマがあって、そのリメイクとして話を進めた結果、フタを開けてみたらセス・ローゲンが主役だった…これかなり笑えますね。『グリーン・ホーネット』だけに、また大麻吸いまくるのかと思ったらそうでもないし。セスが演じたら、せいぜい金持ちのボンボンがいたずら気分で世間を騒がしている程度にしかなりません。それはそれでいいんです、結構好きです。ただ、新聞社社長というのは世を忍ぶ仮の姿、その真の正体は悪事を働くことで逆に巨悪と戦う正義のヒーロー…この辺の切り替えはもっと十分に見せる必要があったのでは、と思います。漫画サンデーの「静かなるドン」のVシネ版の中山秀征でさえ、もう少し上手に見せてたような気がします。プライベートもダラダラ、仕事場でもダラダラ、これだったら大麻吸いまくっている「いつもの」セスのほうがどれほどよかったか。なーんて思いました。
ストーリーについては、ある程度覚悟してたのでまったく問題ないんですが、それ以上に、格闘シーンや銃撃戦シーン、カーチェイスシーンで感じたこの凡庸さは一体どういうわけだろう、と、観終わってしばらく考え込んでしまいました。
決して手を抜いているわけではなく、ビッチビチに映像効果の手をかけているし、迫力だって普通にあります。ところが個々のシークエンスの既視感が強くて、どうにもこうにもワクワクしなかったんですよね…不思議です。アクションの使い手の主体、セス・ローゲンやジェイ・チョウがマズいとも考えにくいわけで、昨今のアクション映画の課題はここにあるんじゃないかなって気がしました。効果ばかりかけてもしょうがないだろっていう。
特にカーチェイスのシーンのセスは、『スモーキング・ハイ』のセスの面白さには及ばないし、音楽はいたって普通のアクション映画風だし、いったい何がやりたいのか、何を見せたいのか、はっきりさせてくれよジェイ・チョウ、と思っても、ジェイ・チョウのキャラはアジア系そのまんまの寡黙な感じなので答えてくれません。
思えば『マトリックス』の起こした革命、もっと遡ればジャッキー・チェンの一連の作品は、主にスタントシーンの面白さを常に押し上げてきました。しかし昨今は、観客がアクションシーンのどこに何を求めるか、分からなくなってきているんじゃないかな、と思います。車が爆発したぐらいでは誰もワーワー言わないでしょう。テクノロジーの進歩で説得力のある絵にする技術は手にあるんですから、もっと根本の部分、シークエンスの構成や必然性の部分で、新奇なものにするかそれとも王道を突き進むか、そのどちらか…というほど単純でもなさそうですね。やっぱり現在は、クリエイターの選択肢も増えちゃってるのが問題なんでしょうか。
それでもお話は進みますが、いやあ…なぜそこでキャメロン・ディアス。若社長セス・ローゲンの秘書として登場するのですが、尺の長さ的には結構な出演量でも実際の撮影シーンを考えたら限りなくカメオ出演に近い雰囲気です。どうせならもう少しセスやジェイ・チョウとの化学反応を楽しみたかったんですけど、それも叶わず。
このままではただのマズイ映画になってしまうところでしたが、クリストフ・ヴァルツがちゃんとやってくれてました。『おとなのけんか』でも私は彼にやられちゃいましたが、さすがですねえ、彼の演じた悪役のキャラクターは素直に面白かったです。しかしもう少し見せ場がないもんかなあ、中途半端に戦って終わってしまっているのがなんとも残念。
脚本がエヴァン・ゴールドバーグとセス・ローゲンということは、当初はもっと下世話なコメディに振った脚本だったのかもしれません。だって、かの有名な『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の脚本コンビっすよ? それがビッグバジェットの圧力で次々とボツになっていったのかなあ、なんて思ったのは、セスとジェイ・チョウが、車の中でなぜか"Gangsta Paradice"を歌うシーンなどにその名残を感じたからですね。正直言って、セスとエヴァンのいかにも考えそうな正義のヒーロー像からは、ちょっとかけ離れた内容になっていると思いましたが如何。
やっぱりレイン・ウィルソンの『スーパー!』の方がはるかに爽快でした。コメディに振るなら全開にして欲しかったし、そうじゃないとセスもキャメロンもせっかく出演したのにもったいないってことになっちゃうわけです。残念すぎる映画です。ただ、この残念さを踏まえて同じメンツできちんと面白い続編作るってのは、アリだと思います。