『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を観ました

ガス・ヴァン・サント監督の『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を観ました〜。

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「旅立ち」…? 謎です。

最近『ヒアアフター』『トゥルー・グリット』と、立て続けにマット・デイモンってすげえなあと思ったので、ちょっとマット・デイモンを辿ってみようと思ったのが本作、1997年公開の作品です。

どうもスター俳優の若い頃ってのは、みなoveractに見えちゃうんですが、思い過ごしでしょうかねえ。宣伝文句で煽りがいのあるような内容とそれを汲んだ過剰な演技…90年代のヒット作って大体こんな感じ、だったような記憶は残ってます。将来のスター俳優だからというわけではなく、この当時の制作側の業界的なマナーだったのかなあと。

マット・デイモンの過剰さよりも、周りの役者、特に大学教授の役どころは、これきっと今だから言えるんでしょうけど、キャラクターのデフォルメが非常に気になります。こんなところで、やっぱ昔の映画だよなあって気がしてしまうんですよね。いやいや、決してステラン・スカルスガルドロビン・ウィリアムスをdisりたいわけではありません。二人とももちろん、ばっちり教授に見えます。これは、監督個人というより、この時代の影響によるものだろうな、と思います。そんな風に考えて、じゃあ「今の映画」のいい例で真っ先に思い浮かんだのは、ポール・ジアマッティ主演の『Win Win』です。別にどう比較しようってわけではありません。ちなみに発見したんですが、この手のoveractな映画は吹替版で観るとばっちりハマりますね。

確かに「大学教授」や「超頭のいい人」を演ずることは、お題としてはなかなか難しそうです。主演のマット・デイモンですら難しそうですね。頭が悪そうに見せることより、頭が良さそうに見せることのほうが難しいのは実生活でも同じで、その上「ホントは頭が良い」人を演じるってのは、なんかもう演者としては演出を信じてやるしか手がかりがなさそうだなあ、と感じます。長ゼリフを一気にまくし立てるシーンなんかも、今となっては別にどうってことない演出だなあ、って思いました。

頭の良い人たちってのは、私は棋士を想像するんです。棋士はそんじょそこらのアカデミックな人たちのはるか上を行く頭の良さです。で、いろいろな棋士を見ていると、やはりどこか破綻してる部分を感じるわけでありまして、特に将棋の話になれば、もはや常人では追いつかないムードを出しています。それが人間的な魅力ともセットになっている。その破綻は人それぞれですけれども、仮に頭の良い人を演出するならば、その部分は見せて欲しいもんだなあと感じます。仮にもフィールズ賞のメダルを取るレベルの教授が、あんなモロ社会的適合性のある人間として描いていいもんかなあ、なんて。いやあの、実生活での大学教授の話ではなくて、演出としてどうかっていう話ですよ。解答を燃やされてアタフタするシーンも、はあそうですか、って感じで、驚きはありません。今だったら、きっと違う演出になるでしょう。

だから「大学教授」って役は厄介なんでしょうね。教授なのに普通なのか、教授だから普通なのか、解釈の難しいところです。

例えば『主人公は僕だった』のダスティン・ホフマン教授役は、私はハマってたように感じたんですが、あれは、演者的にはこれら90年代の映画の研究の上にある演技だったのだろうと思います。それがなんなのか、はよく分からないですけど。演技と演出は進化する、なんつってね、言ってみたりして。

えっと、頭がいい人の話が長くなってしまいましたが、私はこの映画で一番美味しかったんじゃないかと思うのは、頭が悪い方の代表、ベン・アフレックのキャラクターです。あのまんま同じボストンが舞台のミスティック・リバー』に登場しても違和感ないですね。最後の、いつものように彼が主人公の家を訪ねる→すでにいない→そこから車に戻る、この数十秒のシークエンスは、ベン・アフレック最大の見せ場でした。ベタですかねえ、確かにベタですね。でもこれがあるから、というか、この親友たちがいるから、この映画は成立しているわけです。というわけで邦題には「旅立ち」をくっつけた次第でしょうなあ。

この映画の脚本は、マット・デイモンベン・アフレックの二人であること、これも重要ですね〜。二人とも自作自演というわけですが、ここから二人のそれぞれの路線がはっきり別れて現在に至ることを考えると、じんわり来ますねえ。周囲の高評価の割には私はちょい不満げに観てたんですが、この事実だけでも、この映画の意味はあるのかな、って気がします。