『不可能性の時代』を読みました

大澤真幸さんの『不可能性の時代』を読みました〜。

タイトルが魅力的だったので買ってたんですが、積んだままほぼ1年…いやあ難しかった〜!

すらすら読めるのは第4章まで。その辺まで読めば、何故に著者は「不可能性の時代」と規定してこの本を書きたくなったのか、という思いがはっきりと読み取れます。いろいろと論理の飛躍はそこかしこにありますけれども、それはそれ、声の大きい酔っ払いの話につきあわされて妙に納得してしまうプロセスに似ています。いや本当に説得力はありますよ。

しかし第4章までの読みやすさに比べると、まさに肝心の第5章「不可能性の時代」がも〜う理解できません。コラアカンワ、と投げ出したくなるレベル。第一、オタクはまだしも、美少女ゲームを思考の俎にのせるのってどうなんですか、アリなんでしょうかそうですかあ…みんな東浩紀さんが好きなんでしょうね〜なんつっ亭! ともかくこの章、何度も読み直したんですが核心部分は曖昧なままでした。

第6章以降は、まあ付け加えたようなおまけなんですが、こっちの方がまだ分かりやすかったです。さらに分かりやすかったマイケル・サンデルの正義本ともちらりと内容が被るんですが、多文化主義原理主義の対立の回避は、このあたりの現代の政治哲学周りの議論ではも〜んのすごく大きなテーマだと思うんで、「まあ今日はこれだけでも覚えて帰ってください」っていうサンドウィッチマン富澤的なテーマが終わりの章にあってほっとしました。「何言ってんだかちょっと分かんない」って部分は多いにせよ。

で、このエントリーの最初に「読みました〜」と書いたんですが、要するに読了すればいいってわけでもなくて、多少なりとも理解したことは次に生かしていきたいものってのが本望でして。なにか気に入ったトピックから広げていきたいなと思っていまペラペラと読み返したんですが…なんもないですね。全部大澤さんの中で完結してて、例えば引用文献を補完的に読もうって気にはまったくならないんです。恐らくそういう人なんでしょう、全部語り尽くしちゃおうっていう。ちょっと欲張りな人なんですねー。

巻末の参考文献リストの中で唯一「これは!」と思ったのは、シーダ・スコッチポルの『失われた民主主義』って本ですが、触発されて3000円近くだして即買いしちまうっていう人は、金持ちというよりはむしろ「大二病」だと思います。一応欲しいものリストに入れて、検討しときますか。

『不可能性の時代』のアマゾンのレビュー見たら、論理の飛躍を感じている人は多かったんですねー。よかったよかった、と安心している自分。あっつまりこれが「第三者の審級」ってヤツか…(汗)。

あ、それから最後に。MacBook Air 11インチ欲しい!

不可能性の時代 (岩波新書)
大澤 真幸
岩波書店
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