『キャプテン・フィリップス』を観ました

ポール・グリーングラス監督、トム・ハンクス主演の『キャプテン・フィリップス』を観ました〜。


事実は小説よりもなんとかと申しますが、報道されている、あるいはすでに報道された事実というのは主観的なソースに基づくものであります。映画とか文芸が「サブ」カルチャーと呼ばれていた所以は、恐らくその一方的な報道や事実に対してのアンチテーゼとして、多面的な視点を提供する場所であったりした、なんて意味も含んでたんだろうなあ、とまあ、今となっては、懐かしさを交えつつ考えたりもするのですね。

となれば、この2009年にソマリア海域で起こった貨物船の人質事件を映画にしたというこの作品に対する期待としては、当事者である船長の自伝が原作であると分かってはいても、どこかにひと味足してくるのだろうな、と思ってしまうわけです。ソマリア海域で海賊行為をする連中にも「義」や「理」はあるんだろうな、とは誰しも感じながら観る作品だと思います。そしてやはり、確かにソマリアの海賊たちのバックボーンも、とてもシンプルですが描写されておりました。軍や海運会社にがっつりと撮影に協力してもらいながらも、そういった作品の主張を通せるっていう点では、私は本当に、アメリカの映画産業ってのはやっぱり捨てたもんじゃないって思うんです。もっともアメリカ映画ですから、50/50で視点のバランスが取られていたとは思いませんし、結果的には「アメリカ軍マンセー」という意味にも取られなくもないのですが、それでもアフリカ人俳優を使い、海岸でのロケのシーンも要点だけをコンパクトにまとめている巧みさに、ちょっと惚れてしまいました。

振り返って考えると、この映画は、あらゆるシーンがとてもコンパクトにまとまっています。船長が自宅で仕事に出る準備をするシーンや、奥さんのキャサリン・キーナーと空港に行く車の中で交わす会話(キーナーはこれしか出てきませんが、そこがまた良いですね)、弛緩したムードの乗船員、船員の組合の存在、米軍のオペレーションなど、予備知識全くなしでも見せる工夫がしてあるので、非常に親切で分かりやすいのに、説明的にはならないっていう、まあホント、お見事としか言えません。プロのドラマ屋さんだな、と感心してしまいました。

映画としての見どころっていうと、うーん、なかなかこれは…。トム・ハンクスは確かに名優なんですが、そこじゃないんだよなっていうのがあって、残念です。大掛かりな軍の作戦のシーンがクライマックスですから、やっぱり誰それの演技が、というよりはロケが優秀だったという感じです。トム・ハンクスの船長の責務が薄まった気はしますが、それはそれでありでしょうかねえ。

『それでも夜は明ける』を観ました

スティーヴ・マックイーン監督の『それでも夜は明ける』を観ました〜。


なぜ突然またこのブログに感想を書きたくなったかというと、この作品があまりにもつまらないシロモノで、これは評価がひどいだろうなと思ったら、各所でのレビューの評価が一様に高いという状況に絶望しかけたので、そのバランスを取るためにもこれはなにか感想を書かなければならないと思った次第なのです。

ムチで打たれた背中の傷跡をアップで映すような、観客に対するサディスティックな行為は良いとしても、それ以前の問題として、あまりに見え見えな悲しい音楽はまったくエモーショナルではないしかえって白けましたし、どういう感情を読み取れというのか意図が読めないような顔ドアップの絵が多すぎ。虐待にワンワン泣く演者を見るのは、どうしてもこちらの緊張感が切れてしまう。そんなもん見たくないっつーのに、こいつらは見せるんだよな、その根性が気に食わない。奴隷主の奥さんのヒステリーの描写も、踊ることを強いられる奴隷たちの踊りのシーンも、「ここは悲しい感じでね!」という学芸会かと思うような演出ではないかと思われます。労働そのものや主人との人間関係においての描写も近視眼的で、これはもともとの原作がそういうものなんでしょうけど、背後にある当時のアメリカ南部の大きな産業経済的なシステムっていうものがまるで見えてこないのはせっかくの映画としていかがなものでしょうか。

奴隷商人のひどさばかりを目立たせるようなテクニックは、韓国中国が戦時中を舞台にした映画を作るときの日本兵の描写を思わせるというか完全に一致しました。この作品の内容が事実かどうかは、もちろん事実でよろしいんですよ。北部の自由黒人がある日突然南部の奴隷にされたという、原作に忠実に描写した結果がこの描写になるのはナットクなんですが、映画的にはまったくダメじゃないかという気がするんですよね。製作者の意図がまるで奴隷主のようであり、観客が奴隷のように見ることを強いた映画です。ナニがイイたいんだこの野郎、とトマトを投げる余地くらい与えろって言いたい。

さらに二百歩くらい譲って、お話が原作に忠実であればこそのこの歴史観であるなら、それはそれとして飲み込みましょうという感じで観ても、ブラッド・ピットが演じるカナダ人の大工さんのキャラは型破りといいますか、映画として反則ではないかと思います。あのオトコがナニをどうしたら最後にああなるのか。きっと何かをどうにかしたらああなるんだろうね、やっぱり最後に正義は勝つよね、良かったね、とナットクしろってのかおい。

なんてクソ映画を見ちまったんだろうと思って検索すると、さまざまな受賞歴と評価の高さに唖然としました。これほどの差は最近では珍しいです。「奴隷の生活のひどさの描写に感激しました」とかの小並感の多さにも痺れました。評価する者が奴隷になっているとしか思えない。

大体、アメリカ合衆国南部の奴隷制について少しでも勉強したり読んだりしたヒトなら、当時のアフリカ人奴隷の生活がいかに辛くて酷かったかは理解しているはずなんです。その奴隷制の前提を共有した地点に立って、ではどうするか、というこれからのことを考えさせたり主張したりするのが映画だ、という風に私は思ってしまうのですが、どうもそうではないようです。「奴隷制について知らないヒトだって多いじゃない〜」というのも馬鹿にしている話です。こんな内容で奴隷制というものを振り返っている場合じゃないでしょう。「差別そのもの」にルーツもクソもない。現在の差別をえぐりなさいな。デモやってるでしょう全米でさ。

まあ賞レースをにぎわした作品としての意義はあるのだと思うので、ヒートアップするのもこのくらいでしょうかね。原作をチラッと目にすると、体験したことの描写は、北部の自由黒人の視点であるわけで、自然と酷く耐え難いものになっているでしょう。しかも識字率の低さを考えたら、こうして資料として残っているものを、映像としてさらに残したということが、意義のあることかもしれませんね。とか適当にフォローしておきます。

例えば日本映画で、有名な俳優を使って関東大震災時の朝鮮人虐殺をテーマにした映画を描けますか、描けませんよだからこういう映画は凄いよね、という論評も目にしたんですが、なるほどそう言われてみれば確かにそうですが、朝鮮人虐殺のみがテーマという映画は果たして映画として面白いんでしょうかね? 例えば震災当時、朝鮮人と間違われてリンチされて死んだ日本人もいたのですが、作家でも映画人でも、焦点を絞るテーマにセンスがあるかどうかってのは、存在意義と同レベルで問われることではないのかなって思うのです。よく見るとこの作品、タニマチがブラッド・ピットで、監督は技巧的な映像表現で評価された方とのこと。こういう制作者側の思惑や成り立ちによって映画の枠組みも決まってくるというのは、まーあ、仕方のないところなのかもしれません。

私なら、ソロモンを映画にするなら、この後に起こる秘密結社「地下鉄道」まで描くべきで、なんていうのかな…、結局エンターテイメントですから…、この作品のように「やられ損」で終わるのはどうも満足できない。家族と再会できて良かったね、で終わるのは到底満足できない。そういう意味です。

ポール・ダノの弱キャラ白人役、やらしい感じがしてよかったです。

『LIFE!』を観ました

ベン・スティラー監督・主演の『LIFE!』を観ました〜。

いろいろと熱く、またいろいろとヒドイなっていう、映画でした。それでも、またベン・スティラーの最高傑作として更新された、と言いきってもいいんじゃないでしょうか。

まずヒドイなっていう方から話しましょうか。この映画、オープニングのクレジットから「主人公は僕だった」にそっくりで、あまりにも似ているので、初見ではびっくりしてしまいました。あと、劇中の音楽の使い方のエモさなど、かなり似ているんですよねー。同じスタッフがいるのかと思ってプロダクションノートを見ても、とりあえずは被ってない。ということは…よく言えばオマージュ、悪く言えばパクリってやつです。「主人公は僕だった」という映画は、これホントに特徴的でして、これに似てしまうってのはやっぱり疑わしいなというわけです。

そしてアツいと感じたのは「音楽使い」。もちろんあの、アイスランドでヘリに飛び乗るシーンです。デヴィッド・ボウイの1969年の作品「Space Oddity」に新たに命を吹き込んだ、という感じです。このシーンだけで、十分満たされたと感じるのも不思議なもんです。他にもショーン・ペンが写真の中から手招きするシーンなど、ワンシーンごと見ると感情を揺るがすセグメントが多いんですが、あのヘリのシーンは演出上突出させてました。それまでのクリステン・ウィグアダム・スコットの伏線をすべて回収して、映画中盤の最大の山場にするのに成功してました。しかし実際に上手だなって思ったのはヘリのシーンぐらいです。そういうとこ、ありますよ、ベン・スティラーは。


ベン以外では、アダム・スコットが最高でした。彼の成功者役はホントに大好きです。妹役のキャスリン・ハーンもそうなんですが、この二人はどちらも「俺たち義兄弟」に出てるんですよね。ウイル・フェレル主演の。ほら、だからそのー、パクリ感を感じるのもやむを得ないっていう…。

最後にシャーリー・マクレーン。お母さん役。ジャック・ブラック主演の「バーニー」から続けてみると、もっと見たくなりますね。

Gunosyがはてなブログ拾っちゃうんだよね

普段ならゼッタイに寄り道しないのにね。

たまに見たら、そういやアカウントあったんだと思い出し。

最近は缶コーヒーばっか飲んでる。

生活はどうもこうも、処世術をイチから勉強したいようなキモチ。

 


『ラブ&ドラッグ』予告編 - YouTube

 

アン・ハサウェイといえばレミゼ()の絶唱が最近素晴らしかったけれど

なんでこんな大きな目で大きな口で、同じ人間なのか分からないっていうくらいの素晴らしい顔の女優なんだが、なんつーかこういう映画でガンガン素っ裸にもなっちゃうような女優根性がやっぱ好感度UPにつながってる。

『ラブ&ドラッグ』を観ました

エドワード・ズウィック監督の『ラブ&ドラッグ』を観ました〜。

「予想外に」とか、「思いのほか」と文頭で始めるのは、これはもう仕方がないですね。

ほとんど書かなくなったDVDの感想文を、こうやってまた書いてみようと思わせるほどの力を、この映画は持っていました。名作だの良作だのと言うのは人それぞれ違った意見もあるでしょうけど、少なくともこれは「いい映画」に入るんじゃないかなと思います。ストーリーに緩急を付けて深みをより深く見せていたように感じます。二大俳優の力量が優っていただけとは思えず、脚本も演出も異彩でワクワクしました。これはイイもん見せてもらいましたヨ。

ぶっちゃけて言いますと、こちらの映画のアサハカさが際立ってしまって、アン・ハサウェイも罪作りな女優だなあと、思ってしまいました。もちろん『レ・ミゼラブル』を観た現在からこの当時を振り返るならば、そんなの当たり前だべ、って気がしてしまいますけどね。一応、大筋のストーリーとしては、宣伝文句に違わない「ラブコメ♡ム〜ビ〜」なわけですが、そういう映画をこういう俳優で撮ったら、こういうことになってしまうのだな、と1つ学べたような気がします。

いまラブコメってワードを出しちゃったからついでに私見を書きますと、「会いたい!」ってのと「出てって!」ってワードの繰り返しですからね、男と女のラブゲームってのは。大抵が感情的で理不尽なものだしそういう脚本になっちゃうのは当たり前なんですが、なんかその理不尽さをどう消化できるのかってのが役者の見せ所なんでしょう。アン・ハサウェイはお見事だったと思うし、劇中時間が経つに従って変化していくジェイク・ギレンホールの役どころも、さもありなんとは感じましたが、演出も含めて非常に上手に見せていたと思います。そして大事なのは、この上手だったなんつー感想は、この二人の主役についてのみ言えばそうなるわけでして、はっきり言ってそれだけ見せられてもいいオトナの観客は納得しないっていうことです。アイドル使った高校生の恋物語だったらまだしも、セックスしましょう別れましょうで、一本の映画として成り立つはずもありません。

そこで、ですよ。ワタクシ実はなるほどなーと思ったシーンはですね、パジャマパーティなんですね。観客の目線や意識は、ちょっと寄り道というか、そっちに持ってかれちゃうわけです。そのあとにまたバッタリ再会しちゃってと…、なるほど、こういうの挟むよな、いい映画って。王道だわなあ。思い返せばいろいろ思い当たってですね、ああこりゃ監督が上手、というか正統派なんだなって、思っちゃったのですね。オリヴァー・プラットの営業の上司役の配役なんかも、ブレがないですよね。弟さん役もよいのを選んだなあって。なんかねえ、脇は大事ですよ。これヘタしたら、さっき挙げたアサハカな映画みたいに美男美女になっちゃったら大問題なんですよね。

そんでねえ、お話の収束の仕方もとても気分がヨカッタ、というより気前がヨカッタです。大盤振る舞いっていう感じ。アン様の表現ってのがそこかしこにテンコモリで、お得でした。

原作も面白そうですね。バイアグラパーキンソン病が絡むって、なかなかの怪作だと思います。

『愛する人』を観ました

ロドリゴ・ガルシア監督・脚本の『愛する人』を観ました〜。

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非常にキメの細かい映画でして、初見ではちょっと重たいというか眠いというか。「女性」のというより、「女親」の目線が三つの状況で描かれていて、それらが同時に進行していって最後に繋がるという形の映画です。妊娠や出産の重たさをグッと寄って描いている一方で、人の死の描写が淡々とさせた構図が、なんか「お見事」って言わせたい感じがしました。あと、盲目の少女や嘱託医や上司の娘やらが、割と「表現においての重要な役割を担っている」などと言わせたい感じがして、全体的にはコ憎たらしい映画って感じです。批評家のコメントに乗っかって素晴らしい映画と言っちゃってるようでは、自分の時間をせっかくかけて観た映画なのにもったいないなって思います。なにしろ125分という長尺ですからねえ。いろいろと削れない部分はあったのかもしれませんけど、テンポは少し悪いなあって、個人的には感じました。

しかし出演している役者の凄さは伝わります。状況の変化に伴って現れる表情の変化、特にナオミ・ワッツアネット・ベニングは感服です。幸せも不幸せも紙一重、その境目の一本の糸の上を歩くような表現力、これはこの二人の個人プレーとして楽しめる映画ですが、イレ込み過ぎると疲れてしまいますんでまあほどほどに。

オトコの方は、こういう映画ですからしょーもなくて結構なんですが、この映画の素晴らしいオトコはサミュエル・L・ジャクソンの方ではなくて、ジミー・スミッツの方だと断言したいです。愛の深さというのをね、どうやって表そうかっていうことですね。ジミー・スミッツを立てた演出には恐れ入りました。弁護士の上司サミュエル・L・ジャクソンというのはね、彼のキャリアで言ったらカンタンな役どころじゃねーの、と思っちゃう部分もありますからねー。

『スパングリッシュ』を観ました

ジェームズ・L・ブルックス監督の『スパングリッシュ』を観ました〜。

まずアダム・サンドラーに拍手、そしてサラ・スティールに拍手。ティア・レオーニパス・ベガにもついでに拍手です。これだけのイイ映画にとってもよく似合った、絶妙なキャスティングでした。

アダム・サンドラーは常に思っていたことですが、本当にいい顔を持ってますね。コメディ映画っていうのは、コメディだけではダメなんですよ、いい顔がモノを言うから映画なんだなあと。それは彼だけではなく、上に挙げた役者全員が、そういう顔を持っているんですねえ。恐れ入りました。映画ってのは顔を撮るものなんですね。

サラ・スティールが、なかなかのブスでみじめな役を堂々と受けたってのも素晴らしいと思います。驚嘆の演技でした。彼女はすごいです、ホントに。キャサリン・キーナーと絡んだ映画もあるんですが未だに観ておりません。ソフト未発売のままなんですよねーなんとかならんもんかねえ。