『なるほどの対話』を読みました

吉本ばななさん、河合隼雄さんの対談本『なるほどの対話』を読みました〜。

なるほどの対話 (新潮文庫)
河合 隼雄 吉本 ばなな
新潮社
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今まで読んだ河合本のなかでは、一番下のほう、はっきり言うとつまらない方に入りましたねえ、すっごく残念なんですけれども。いかに松岡和子さんがすごい人だったか、まあ続けてこれ読んだから余計に落差が激しく感じたのかもしれません。

まず私なりに吉本ばななさんのことをどう理解しているかというと、本書でも触れてますがこの方の作品というのは、ほとんど少年期、中高生の感情に添うものが多いので、41歳のおっさんの今ならなおさらですけれども、これまでも私は、彼女の作品とあんまり交錯する機会がなかったんですね。読むにしても仕事として読む態度というか、いまこういうのが流行ってんだよねという前提で読むというような。キッチンもTUGUMIも読んでいるはずなんですけど、すっかりあらすじ忘れてます。それはそれで仕方ないというか、志賀直哉島崎藤村も私はすっかり忘れてますからね、それは仕方ないんですけど、まあ案の定、若い女性の好きそうな作品だよなあって印象だけが残ってしまっているんですね。

しかしそれでもばななさんって、いろんなところに露出の多い方ですから、文章を目にする機会も多いわけです。そういうもので感じたのは、この人は天才かどうかはさておいて、まずは天然だろうな、ということです。ナチュラルボーン文筆家というのが第一印象です(この考えは実は少なからず当たってまして、ばななさんは幼少時代から作家になろうと思ってたそうですねえ)。だもんで、「親のこと必ず言われるから厄介だろうな」などとこちらが勝手に同情するまでもない、純度の高い作家さんなんだと思います。

そんな方と、河合センセをぶつけました、というこの企画。一見面白そうだし、版元だったらカネの臭いを嗅ぎ付けるところでしょう。しかし、天然vs天然ではやっぱりアカンのやね、というのが私の感想です。この漫才は辛かったです。

とにかく河合先生のお話に対するばななさんの相槌だったり反応だったりのすべてが、天然過ぎて、読み手のこちらの思惑とはかなり異なる角度からやってくるんですね。いろんなテーマで対談されているんですけれども、ほとんどはありきたりな社会批評とか個人の悩みになっちゃっているところが、どうにも物足りないというか、最後には許せない感覚を覚えました。許せないってのは誰を許せないのかっていうと、うーん、編集とか版元とか、でしょうかね。もっとも、これを世に出す前に、村上春樹さんとの対談本ってのが出てるから、作り手側は恐らくそれを下敷きにしたんじゃないかなって予想しますがどうなんでしょう。

本書は明らかに失敗だと思います。比べてもまったく意味がないですけど、小川洋子さんはもっときちんとキャッチボールしてたと思います。「南米で俳句なんかできるんかいなー」と言う河合先生に対して、どうして日系人の俳句の話や、あるいはサウダーヂの話に飛ばないのか、そこは膨らませるところなんじゃないの、と不思議で仕方がなかったんですね。それぞれに話は飛ぶんですけど、天然のボケ二人が自分のネタを話しているだけというような印象で、笑い飯だったらもう少しおもろくしてるところなんですがね。以上、まあ個人的な感想でした。

ちなみに私は、読了した河合本では、相変わらず「ナバホ」が最高だと思ってますよ〜。