物忘れが最近ひどすぎることとアントニオ猪木の真似が通じなくなる日のこと。

どうにも物忘れがひどい。特に一番忘れるのは、お笑いタレントや俳優の名前。

このもっとも大きな理由は自分の年齢。いやしかし、年齢とは思いたくないとするならば、恐らくテレビをほとんど見なくなったという点にある。好きなテレビ番組以外に出ているタレント、例えばあの女のデブのお笑いタレントでビヨンセの真似を口パクでする人、アノ人の名前なんだっけ、ワタナベなんとか、とこういう具合。

まあまあ、この物忘れがひどいということについては悲観はしていなくて、忘れているということは覚えておく大した理由がないからであると信じているし、さらにネットを検索すれば割とすぐに出てくることを覚えてしまったために、忘れる行為が加速しているのだと思う。「お笑い デブ ビヨンセ」まで覚えているなら検索したらすぐ出てくる、ということを私は「覚えている」。だから物忘れをしても問題ないはず、なのだ。

なのだが、この「物忘れをしても問題ない」ということは、実はネット上に蓄積された知見なり情報なりが、これからも永続することを担保した上で言っているわけで、本当に世界大戦が起こって核兵器で持って世界中のサーバが完全に破壊されたりした世紀末という状況になるならば、事態は変わってくる。いやしかし待て、そんな時代になったら「ビヨンセの真似をする芸人の名前」なんて覚えていてもクソの役にも断たないわけで、むしろ食糧と燃料の確保だろ、あといつモヒカンの野盗集団が襲ってくるかも分からないから安全の確保、とこちらのほうに意識を集中するんだから、現在の「物覚え」の状況とは前提条件が違うからあんまり意味ないか。まあとにかく、言いたいことは、膨大なネット上の情報を担保にした上で、私達はちょっと物忘れが加速しているということである。

そこで考えたんだが、もしネットのない状況であったなら、今から50年後、恐らくアントニオ猪木も死んだ後の時代の若者の間で、アントニオ猪木の真似が通じなくなる日が確実にくるのだが、しかしネット上のアーカイブスが今後も存続するのならば、アントニオ猪木の真似も十分に通じるはずだと思っている。矢野・兵動のやる「やすきよのモノマネ」が、今ギリギリ通用していると考えるのは間違っている。アレはやすきよをリアルに知らなくても、アーカイブズが残っている限りは今後も永続的に通じるはずなのだと思う。欽ちゃんジャンプにしても同様だ。ネット社会とはそういうことなのではないかなあという気がするのだ。

例えば「ええじゃないか節」や関東大震災の時の「復興節」、ああいう映像が出現する以前のアーカイブズには、私達は一部のアーティストや保存会が再現したものに触れる以外に道がない。忘れる一方であるのが自明だからこそ、記録して保存しようという動きも現れるわけだ。ところが今は、保存しようとしなくても自明のものとして保存されている。

そうか、こういうことを考えたら、私達はもっと積極的に文章でも写真でも動画でも、ネット上に保存しておいたほうがいいんだなって気がしてくる。それを担保にした上で、今後もさらに物忘れを加速させて、別のことに脳を使うことができるなら、さらに面白くなるんじゃないかと思うのだが。