太平洋テレビ事件の清水昭社長
猪瀬直樹さんの仕事はいいですよ。副都知事としてどうのこうのってのはtwitterでフォローしてないから分からんのですが、まだバッキバキのイチ作家であった頃の仕事は素晴らしいです、といっても、私がDigするのは天皇と道路以外の作品ですけど。「太宰治伝」や「三島由紀夫伝」がよいけどちょっと上から目線がウザイっちゃあウザイですね。でも「日本凡人伝」や「死を見つめる仕事」ってのはよかったです。猪瀬さんの仕事の本質はインタビュアーじゃないかなって気がしてきます。
さて本題なんですが、その猪瀬直樹さんの「二度目の仕事ー日本凡人伝ー」というインタビュー集の中に、太平洋テレビ事件の清水昭社長が出てくるんですが、これググってもろくな資料が出てこないんです。太平洋テレビ事件というのは脱税事件なんですけど、清水社長の弁によればとにかく検察のやり方は怪しい。いまも当時も検察のやり方っていうのは変わらないんだなあと、改めて思った次第です。気になったもので、多少の資料として以下にまとめます。ソースは猪瀬さんの本のみ!
- 清水昭。大正13年4月5日、北海道余市郡余市町出身
- 昭和18年、戦争に行きたくなかったため北大の医学部予科に入る。二番目の成績で。英語ペラペラ
- 昭和20年に終戦、北海道にきた進駐軍にスカウトされて北大を休学、「終戦連絡事務局」に入る
- 昭和23年3月に北海道に戻る
- 昭和27年、医学部から横滑りで北大法学部を卒業
- 昭和31年5月、32歳で上京。北海道出身の南条徳男建設大臣の家に泊まり、大臣顧問として通訳の仕事をする
- 渡米中にアメリカのテレビ局NBCと指定代理人契約をする。
- 昭和32年に永田雅一から金を借りて太平洋テレビを創立。事務所は築地
- 昭和35年には社員は200人
- 昭和37年4月17日、国税局の強制捜査。4月21日、河井信太郎から呼び出し食らって逮捕拘留
- 昭和39年2月4日、外為法違反の判決。懲役7ヶ月執行猶予2年罰金20万円
- 昭和46年12月21日、脱税裁判で無罪。国税局は控訴
- 昭和49年3月29日、控訴棄却
- →清水氏が国税不服裁判所に提訴
- 昭和51年1月16日、「原処分は違法であるからその全部を取り消す」差し押さえられた9000万円が800万円になって戻ってくる…!
- 「てめーこの野郎!」ということで国を相手に民事訴訟を起こす
というところまでが、このインタビューの時点での話でした。この後どうなったんでしょう?ちょっと分かりません。
いずれにせよ、まあ本当に、今とまったく変わりませんね。お上のメンツだけが優先されるっていう…暗い気分になってしまいますね。