『史実を歩く』を読みました

吉村昭さんの『史実を歩く』を読みました〜。

史実を歩く (文春新書)
吉村 昭
文藝春秋
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歴史小説作家の吉村さんの、いわば「メイキング」にあたるのがこの本です。

時代小説、歴史小説、呼び名はいろいろでしょうけど、どんな作家さんでも、資料を集めることはとても重要な仕事だろうと思います。もちろんミステリーや推理小説でも同様かもしれません。でも恋愛小説だったり、あるいはラノベだったりは…もしかしたら、グーグルで済ませることもできるかもしれませんよねえ。まあそこを比較してもしょうがないですが。

吉村さんはなぜに面倒くさい時代小説を書いていたのか、資料集めは大変じゃないですか、難しくはないのか、といった基本的な問いにすべて親切に答えています。どうも資料というものは「そこに行けばある」ものらしいです。達人ですよねえこれは。あるテーマについて知りたい時、地元の図書館に行くとか歴史研究家と会う、そうして残っている資料すべてにあたってから、記録が残ってないものに関しては創作して書くそうです。飯嶋和一さんも確かそんなこと書いてました。吉村昭さんと飯嶋和一さん、資料集めの部分のシリアスさでは似ていますね。

なにしろ「武家の妻がお妾さんと言ったかどうか」などの事実ひとつとっても、資料では記録されていないことの方が多く、研究者でもはっきりしたことは言えないけれどもと前置きしてしか語れないようです。普段私たちが観ている時代劇や大河ドラマといったものに、どれだけ歴史研究の成果が反映されているかなんて、知れたもんじゃない。あやしい。嘘だらけかもしれない。それでもさすがに大都市江戸の資料なら比較的焼失せずに残っているらしく、時代物で江戸を舞台にしたお話が多くなるのは必然なんですねえ。

吉村さんの場合、まず初期に戦争の時代の小説、それから江戸時代後期の小説を多く書いているんですが、刑務所関連の小説も多いんですよね。『破獄』の資料を集めた話は大変面白かったんですが、恐らく刑務所関連の方の取材を進めていった先に、数年後の『プリズンの満月』にもたどり着いたんだろうなあと想像するわけです。その過程を考えると、作家活動というのは一生かけてやる大事業なんですねえ。これについては多作も寡作も関係ないでしょう。

改めて思いますけど作家さんってすごいっすね。これからも、吉村昭さんくらいを基準にして、クオリティの高い本だけを読みたいと思います、な〜んて思っても、まあ時にはヤッツケたり怠けたりしたくなるのが人間なのでして、それは読む私だけに限らず、書く作家さんも同じこと。時には駄作愚作も出してほしいものだ、と思ってますよ本気で。