『高熱隧道』を読みました

吉村昭さんの『高熱隧道』を読みました〜。

高熱隧道 (新潮文庫)
高熱隧道 (新潮文庫)
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吉村 昭
新潮社
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一気に読まされました。すごいですよ迫力が圧倒的です。精緻な史料至上主義のように思わせておいて、この作品に巧みに練り込まれているドラマツルギーが凄まじい。もう完全に史実よりも「演出」に持ってかれました。

この作品は戦前の黒三ダム建設の話で、『黒部の太陽』が戦後の黒四ダム建設の話です。後者は映画にもなり、ドラマにも芝居にもなっております。それだけ『黒部の太陽』のほうが、いろんな立場の人物描写に挑戦していることから、脚本にもしやすいことが現れているんじゃないかという気はします。『高熱隧道』については、これを映画にしたところで、せいぜい『硫黄島からの手紙』の洞窟みたいなセットで、さらにスプラッタホラー調にしたぐらいじゃないかと思うんですよ。


泡雪崩というのは、ほとんどSFと言っていい災害みたいに書かれています。冬場では常に起こっている当たり前の現象なんですが、なにしろその現象が起こる厳しい環境にはほとんど人間はいないということですね。では、なんでアンタらそこに居んねん、という疑問に戻ってきちゃうわけです。相当の日当を貰ってる人夫から、莫大な経費に見合う利益を期待する日電トップまで、きっと全員が突っ走るしかなかった時代なんでしょうね。それら各人の行為を、全体としてはヤマ屋の、ひいては人間の、自然に対する崇高な挑戦というテーマにしちゃってもいいんですが、もしそれだけだったら陳腐な話で終わってるはずです。

この黒部のトンネル工事は、新卒の技師一人の精神が変調するくらいの現場ですから、普通に考えてかなりヤバい現場です。しかしだからこそ、人間同士の関わり、関係というのが際立ってくるのでしょう。総責任者の根津が、ダイナマイトの誤爆破でバラバラになった8名の死骸を、一人血と脂にまみれながらも組み合わせて、周囲にある種の感動を起こすシーンは前半のハイライトなんですが、責任ある立場にある人ってのは、思いがけずにやってしまうことが結構あるようです。『中年クライシス』でも似たような話がありました。たしか広津和郎の『神経症時代』からの引用だったと思いますが、なにかと社長に対して反抗的だった上司の男が、ある時会社を支持する大演説を部内にぶちかますという話です。中年の、責任者という立場だと、思っていることとはまるっきり反対のことをしなければならない機会が訪れるという話での引用だったわけですが、その時が根津にとってはダイナマイトの誤爆事故という危機であったのだと思います。

思えば、社会のあらゆる場面で、責任者はこういう根津みたいなことやってるよな、と思うところがあります。技師は人夫を、上司は部下を、政治家は有権者を、国は臣民を、基本的に見くびっているんです。戦時中なんて上から下まで、根津技師みたいな演劇をやってる/やらされてるわけです。ちょっと頭のいい奴がそれに従わなければ特高が来て共産主義だなんだと言って拷問するわけでしょ、最低最悪の時代ですが、今もほぼ変わらないんじゃないのか、と見ることもできそうです。この根津技師の演劇的な行為にスポットを当てたことが、この作品の第一義だと思います。

この作品を素晴らしいと思う点がもうひとつあって、それは人夫の人物像を完全に脱色しているところです。人夫たちは最後まで集合名詞のままです。最後に死ぬのは人夫である、技師は死なない、そしてこのことに矛盾はないです。だって人夫は、戦前の労働環境は今とは比べ物にならないとはいっても、日当がすごく高いんですからねえ。その死ぬべくして死ぬ人夫たちを、名前すら書かずに、藤平をはじめとする技師たちとの軋轢の一方として描いたのは効果的だなあと感心します。

その不気味な人夫たちが倉庫からダイナマイトを盗んだかもしれない、逃げたほうがいいと人夫頭に言われて、そして藤平らは山を下りてこの物語は終わります。この理に適った終わり方に対して、一方で頭をもたげるのは、「本当に人夫らは殺ろうと思ったか」という点です。「殺っちまおうゼ」まで行ってしまう限界点は超えていたんでしょうか。…実はこんなこと、上の立場にいる人にとってみたら知ったこっちゃないんですよね。どっちでもええがな、というところです。だからこそ、人夫らは人を殺したりしたら負けなんですよね。これは肝に銘じておきたいところです。

とかなんとか、ガラにもなく結構いろいろ考えさせられますね。さすが吉村さんっス。勉強なるっス。