『土を喰う日々』を読みました

水上勉の『土を喰う日々』を読みました〜。

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)
水上 勉
新潮社
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読んでみて納得しました。これは明らかに、料理本の中でもずいぶん上の方に入る上質なクックブックです。水上勉さんが女性雑誌『ミセス』の昭和53年の一年間に、連載してた料理についての文章をまとめたものです。

水上勉さんは家庭の事情で9歳で京都の禅寺にお世話になるのですが、そこで学んだ料理の考え方を基本にして、旬の素材やその調理についてのしかじかを書いております。軽井沢の別荘で自分の畑や近くの山や川から採ったものを、その旬に食するなんて、ちょっと私には考えられない贅沢な生活なんですけれども、実際やってることは贅沢というよりも、人として当たり前のことなんだっていう話なんでしょうねえ。

私は明らかに『美味しんぼ』世代でして、ビッグコミックスピリッツ全盛期を知る者です。美味しんぼをはじめとして、YAWARAだの奈緒子だのクライングフリーマンだのを、連載でリアルタイムで読んでたのが学生の頃っていう。美味しんぼは途中、コメ問題で変なイデオロギーが付け加えられてイヤになったんですが、京極さんの「なんちゅうもんを〜」の鮎のあたりってのはやはり間違いなく面白かったなあと思うんです。

そういう美味しんぼに影響を受けた者として、なんとなく、いびつな食品観を持っていると思うんですよね。「天然ものが最高である」「ファーストフードはクソである」的な観念というのは、美味しんぼのせいもあるんですが、なかなか取り払われないものであります。この観念、間違っているはずはないんですが、ことさら全面に押し出すものでもないという結論を今は持っております。食品についての危機感なんて言い出したらキリがないわけで、放射能の数値に誰がどう線引きするのかなんてのも、結局主観ですからね。いい人はいいし、ダメな人はダメなんだと。特に日々みんなが口にする料理の話になれば、そこには人の数だけの主義主張があるものでしょうね。

だから水上さんのこの本が伝える、料理と素材についての情緒みたいなものが、そのまま絶対とはとても言い切れないかもなあ、とは感じました。だって畑を耕して竹林に行ってタケノコを掘って庭の栗の木に実ったクリをカチグリにしたり渋皮のまま炊き込みご飯にしたりすることなんて、絶対に、一部の人間にしかできないことじゃないです。栗の炊き込みご飯をやるならそりゃあもう、スーパーに売ってる中国製のクリを使うしか手はないわけです。実際多少うがった見方ですけど、スローフードとかロハスという概念ですら、広告代理店が仕組んだものかもしれませんよ? と思ってるんですよねえ。

ただ、今でこそこんな揺り戻された考えに至っているんですけど、この本で水上さんが伝えようとしていることは充分に素晴らしいことだと思います。身の回りの草木をすべて丁寧に調理するっていう禅宗の「精進」の思想ってのはとても効率がよくて、洗練されているなと感じました。

ただ、それでも私は、『雷電本紀』の中に出てきた「薬食い」のシーンが深く心に刻まれております。精進料理では豆腐が最高の栄養源という以前に、民衆が手っ取り早く解決しなければなかったタンパク質の摂取の問題は、もっと切実かつ実直だったんだろうと感じます。精進料理を気取るのはなんとか小金を貯めた私らにも可能でしょうけれども、やはりロードサイドの焼肉店で食べるユッケの需要のほうが切実なんだろうよって話です。

食は、当然ながら私たちの人生のほとんどを占めるわけですから、それが修行となる意味はあると思います。私もそうあるべきだと思いますが、現代においては、「食いたいものを食う」ことが一番神に近づけるんじゃないかな、と一周回って思っております。まあ結局水上さんも、この本で食いたいものを食ってることに変わりはないんですけどね。

あ〜、将来はきっと、自分の畑を持ちたいもんですね。放射能に汚染されていない畑。