ダブリナーズ

ジョイス作、柳瀬尚紀訳の『ダブリナーズ』を読みました〜。

ダブリナーズ (新潮文庫)
ジェイムズ ジョイス
新潮社
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ジョイスの名作を読んだというよりも、柳瀬訳を読んだなあという実感が残る本でした。人間描写は鋭利で、読んでる間じゅうずっとズバズバ斬られてました。いろんな話にいろんなタイプの私、つまり読んでいる私が登場してくるんですねえ。この洞察は「こういうのあるよねあるある」のレベルでは決して済みそうにありません。まあ名作って言われるのは全部そうですけどね。ただ、19世紀のダブリン市民と21世紀の川崎市民をつなげることを可能にしたのは、明らかに柳瀬さんの仕業です。本当にありがたいことですね。

翻訳の方法論の話になってしまってはジョイスに申し訳ないし、こうなってくると原文も読みたくなってくるのは避けられないでしょうね。ハア。まあ深みにはまる前に、つらっと字面だけ読んだ作品の感想を書きます。

『死せるものたち』の最後のパラグラフは、震えましたねえ。アイルランド全土に雪が降るくだり。寒そうで震えたってのもありますけれども。

『痛ましい事故』みたいな話は好きです。悲劇は悲劇なんですけれども、なにか独善的な行動と語り口で、悲劇性がすっぽりとスクリーンの中にだけ収まってしまうような感じで、ああこれってきっと映画にでもなってんじゃないのかと思いました。なってないようですけど。

『委員会室の蔦の日』はぼんやり読んだらなんのことやら。最後の柳瀬さんの解説にある謎かけについての話です。この小芝居に深い仕掛けがあるなど想像もつきませんよ普通は。ごく自然に解釈するなら、各人がとにかく想像を絶するほど、常にスタウトを飲みたいと考えているのだと。いかにダブリンの人が飲むのが好きなのか、肝臓に銘じないといけないようです。

『小さな雲』と『写し』現実に対してふざけんじゃねえよって気持ちが「辺境の地」アイルランドに共鳴しています。どちらの作品でも、コミュニティの自意識や美学が底に流れていて、ずいぶん長い間アイルランドの地にいられたような気分になりました。

語彙がないと読み下せないばかりか、こうしてアウトプットすることすらままならないです。「簸る」という単語が柳瀬解説に登場しましたが、さてこれに煽られるように、他のジョイスを読んでみるべきかどうか。どうしましょうかねえ?